「垣根」を笑う

2019-07-01 09:44:15

徳永 良行


私たちは、誰かが作った隔たりを何の疑いもなく従っている。中国と日本がそうである。私たちが互いに避けあう必要がどこにあるのだろう。ちょっとの勇気と、「垣根」を飛び越える意志があれば、盲従から目を覚まし、互いを認めあうことができるはずだ。「垣根」など、汚れたほこりのようなものだ。笑い飛ばせば、それでちょうどいいのだ。そんな思いを、私は、ある中国人から学んだ。

 4年前、私の住む家の近所に中国人一家が越してきた。彼らは日本語があまり得意ではなかったが、しばらくして中華料理店を開き始めた。近隣の人々も、最初は親しくしてうまく関係を築けていけるかのように思えた。だが、微妙な生活習慣の違いがほつれになり、トラブルを解消しようにも言葉による意思疎通が困難なため、近隣の人たちはその一家へ「垣根」を設けてしまった。

 見えなくてもたしかにある、理解できない恐怖、不愉快、いら立ちがその「垣根」を構成していた。私は人々が作ったその垣根を、誰もがそうしてる、みんながそう考えているならそうに違いない、などと、疑いもなく当たり前のようにその垣根の前に盲従し彼らから距離を取っていた。

 けれど、私は幸運だった。今でも忘れない、あの日、私は家に入る鍵を外で落としてしまい、父母が帰るのをぼんやり待っていた。すると、若い青年が私の前を横切りチラリとこちらを見てすぐに歩いて行った。その時、私はすぐに例の中国人だと思った。それからしばらくすると、また人がやってきた。さっきの中国人青年だった。今度は先ほどと打って変わって、なにか心配そうにこちらを見ていた。すると、片言の日本語でこう言ってきた。「ダイジョウブですか?」

 後で分かったが、どうやら彼は私が家から追い出されていると思ったらしい。ただ、その時の私は驚きよりも、心配されたことがとても嬉しかった。「ありがとうございます」私はそう返した。

 しばらくそのまま二人で喋った。片言の日本語で聞き慣れないことが多かったが、相手がどれほど誠実に私の言葉を理解しようと努めているか。その姿勢はかたや垣根を作る私たちとはよほど対照的だった。「じゃあ、ゴハン食べていかない?空いたでしょ、オナカ」彼は優しい笑顔で誘ってくれた。躊躇う理由もはや何処にもなかった。あとから親に何と言われようとも関係なかった。「うん」私も、笑顔でそう返した。

 中華料理店で、その青年のお父さんに麻婆豆腐をご馳走してもらった。今でも、その味を忘れない。そこで、いろいろなことを教わった。彼らが四川省から越してきたこと、青年は日本語学校に通っていること、今度四人目の兄妹ができるということ。青年のお父さんは私にこう言った。「我が家では日本語ができるのは私しかいないから、近隣の人に迷惑をかけっぱなしでね。でも、こうしてご飯を食べに来てくれる子がいて、ここは本当に親切な人がおおいね」

 私は褒められてうれしかった半面、恥ずかしく思った。迷惑とは何なのだろう。ただ理解しようとしないこちらのことを、「親切な人」なんて、考えもしなかった。なんだか、今まで作ってきた「垣根」が私には馬鹿らしくなってきた。

 それから、私と青年は頻繁に会うようになった。いろんな話で笑いあったり、悲しんだりもした。今でもその関係は続いている。近所の中で、私ひとりだけしか「垣根」を飛び越えられてはいない。だが、「垣根」とは私たちが思う以上に小さいもので、笑い合えば飛んで行ってしまうものだ。日本と中国、政治・歴史を辿ればまだ難しいかもしれない。けれども、いま一人ひとりが交流し理解しあえば、互いに持つ不信感を克服することも出来るはずだ。それを、私はあの中国人に学んだのだ。

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