日中交流で得た宝物

2019-07-01 09:44:15

北村 美月


「本当に美月ちゃんありがとう。この活動は美月ちゃんが帰国後も続けていくね。」

この言葉がどんなに嬉しかったか。自分のやってきたことは、自己満足ではなかったのだと実感した瞬間だった。

わたしと中国の最初の出会いは、大学だった。将来的に役に立つと感じ、中国学科を選んだことが始まりだ。いや、正確に言うとまだ出会ったとはいえない。というのも、最初のころは、中国語を習得することに重きを置き、中国人の友達も全くおらず、勉強するのも昔ながらの中国文化や歴史、堅苦しい政治の仕組みばかりで、今の中国を知ることも、そして知ろうともしていなかった。

中国について勉強しているのに、中国の実態、そして肝心の中国人との交流がないことに違和感を思い、私は一昨年、約1年間の留学を決意した。

留学を決めたときは、日本人差別を受けるだろうか、環境衛生、治安は大丈夫だろうか、怖くて不安で仕方がなかった。しかし蓋を開けてみるとどうだろう。歴史の考え方は人それぞれあれど、周りの中国人は親切すぎるほど親切で感動することばかりだった。また上海をはじめ、日本よりはるかに発展したIT社会、治安も北は、ハルビン、南は、雲南まで旅したが、どこもそこまで悪くない。

特にうれしいことは、日本人と仲良くなりたいという姿勢を見せてくれる同年代の中国人が多いことだった。しかし残念なことに、日本人側は、中国にいる日本人であるにもかかわらず、中国人との交流に積極的な人は少なかった。理由は、自分の語学力に自信がない、もしくは中国に対する悪いイメージが抜けていないことにあった。

中国人と実際交流してから言ってくれ。私は切実にそう思った。

しかし留学先の上海は、日中交流団体はあれど有料のところばかり、または活動場所が遠いなど、もともと交流に意欲にある人しか集まらないものばかりであった。大事なのは、まだ日中交流を経験していない、食わず嫌いの人をなくすことだと私は感じた。

そこで交流初心者向けの無料日中交流団体を立ち上げることを決意した。内容は言語が分からなくても楽しめるゲーム交流イベントを目標に団体を作った。最初は、異国でツテもなく、現地学生の授業に飛び込んだり、様々なイベントに参加し仲間集めを始めた。すると、協力的な中国人はすぐ見つかった。

正直最初は、イベントに全然人も集まらず、運営するために必要な資金や、中国メンバーとの考え方のギャップ等、うまくいかないことばかりだった。特にお互いの文化背景から、私の当たり前が彼女達の当たり前ではないことを何度も痛感した。

しかし、彼女達の思考力や行動力のスピード感に、とてもいい刺激を受け、どうしたら、お互いのよさをいかせるかについて中国スタッフと話し合い、日本では味わえなかった活気溢れる活動ができたことは今でも忘れない。

何度も試行錯誤を重ね、交流会も安定し始めた頃、私はある思いをもつようになった。

 それは、自分の帰国後も活動してもらいたいという思いだ。

そのためには、周りから求められる団体にしなければと、参加者の満足度を高めようと毎イベント後にアンケートと外部のアドバイスをもらい、常に更にいいイベントになるよう工夫を続けた。その結果、最後には参加者80人を超えるイベントを開催することができ、冒頭で述べたように、今なお現地学生が活動を引き継いでくれている。

 私は、日中友好の輪という、思いがけないプレゼントをそこでもらった。

そして私は現在、中国ともつながりの深いグローバル日系企業で働くことを決めた。今度はビジネスというフィールドにおいても日中の輪を咲かせたいという夢を胸に、学生最後の一年、日中友好活動に取り組もうと思う。

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