フィルター越しの世界

2019-07-01 09:43:02

大島 綾乃


 「一つの出来事でも国によって様々な解釈をして国民に伝えようとしている。」「どんな情報が本当に“信頼できる情報なの?」日本・中国・香港の歴史教科書を読み比べて、一番始めに浮かんだ疑問だった。そしてその疑問は今も胸の奥にあり続けている。日本と中国は長い歴史の中で様々な関係を繰り広げてきた。決して友好的なものだけでない。負の側面が現在の日中関係においても影を落としているように感じる。

 昨夏、日本、中国大陸部・香港の高校生が香港に集まって日中問題を話し合うサマープログラムに応募し、選考を経て参加することができた。チームに分かれて歴史問題についての議論、現在の日中問題に関する両国メディアの記事の比較調査、政策立案や模擬外交など、さまざまなアクティビティを経験した。応募したきっかけは、中国語を学校で履修していたことから日中問題に興味があったことと、新しい環境に飛び込みチャレンジしてみたかったという単純なものだったが、プログラムの一週間は衝撃の連続だった。たとえば、南京大虐殺について日本、中国大陸部・香港の歴史の教科書を読み比べるセッション。日本の教科書には、本文の脇の注釈に数文書かれてあっただけなのに対して、中国の教科書には、数枚の写真のもと1ページにかけて日本が中国に対して行った虐殺が細かく書かれていた。虐殺の推定人数も日本側と中国側では大きく異なる。単なるコミュニケーション不足には留まらない、偏見や情報操作について改めて考えさせられた。

 会議の中で最も印象深かったのは、Peace Initiativeという、ショッピングセンターや駅で香港の一般の人々に「平和」を発信する活動だ。プログラム参加者が協力して、様々な言語で「平和」と書いたポスターを作り、それを掲げて平和啓発への署名を訴えた。多くの人は訝しげに私たちの様子を眺め去っていった中で、あるお年寄りの方が私の前に静かに立ち、敬礼なさったのだ。日中戦争と関係があるのではないかと感じた。70年以上がたった現在でも私のことを「一人の高校生」でなく「あの時の日本人の子孫」として認識している事実を痛感し、悲しい気持ちになった。一方で、同世代の高校生を中心に、「加油!」や「ありがとう!」といった声をもらうことができ、小さな集団の小さな活動が平和の輪を広げていくことを実感した。

 プログラムで一緒になった中国人のうち、四川から参加していた同い年のCelineとは現在も定期的に連絡を取り合っている。彼女は、父親が日本に対し強い偏見を持っていて、幼いときから日本の悪い印象や側面を教え続けられてきたそうだ。しかし彼女は日本のアニメをよく見ているといい、私が知らなかった日本のアニメまで紹介してくれた。日中問題だけでなく、お互いの高校生活や将来の夢、自分の住んでいる地域の特徴など、夜遅くまでたくさんのことを語り合った。たとえ周囲に偏見を持っている人がいても、Celineとの関係のように共通の価値観を持ち未来を語ることはできる。この経験は、大いに私を勇気づけてくれる。

 日中関係は今後若い世代が中心となって解決の道を図るべきだと感じている。一方で、教科書の記述に象徴されるように、ある一つの物事をとっても両国の国民の見方には偏りがある。そして、ともするとメディアがその偏りを助長するため、両国の世論が対立してしまうことも起こりうる。私はこうした安易な偏見に流されない社会にしたい。批判的に、そして柔軟に社会で起こっている物事を見ようと思う。平和を実現することは決して容易なことではない。多様な人々が多様な価値観のもと生活しているからだ。会議に参加することで、他者のことを〇〇人というフィルターのもとで見ていたことに気づかされた。「『〇〇人だから』というレッテルを貼るのはやめにしよう。」私はこの言葉をできるだけ多くの人々に訴えたい。

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