僕が考えるノーマライゼーション

2019-07-01 09:43:02
井内 英人

 「ノーマライゼーション」と聞いて、どこの国の話を想像するだろうか。現在、広く知られているノーマライゼーションとは、僕が調べたところによると、北欧とアメリカで生じた考え方が徐々にまとまっていったもので、障害者自身よりもむしろ障害者の置かれている環境に焦点をあてた考え方のようだ。

 そして、僕が伝えたいことは、欧米主流と思われがちなこのノーマライゼーションの考え方が、実は、中国に広く根差しているのではないかということだ。

 僕は、父の仕事の都合で小学校から中学校にかけての三年間、家族と共に上海で過ごした。そして、僕には身体障害があるのだが、中国語しか通じない現地校に通った。それまで中国に縁のなかった僕は、中国語が全くわからず、先生の話も理解できなかったが、毎日ワクワク楽しい日々だった。何より、先生方やクラスの皆がとても親切だった。また、日本のアニメが大人気で、皆、日本人の僕よりも詳しく、日本のポップカルチャーは、世界に通用するコミュニケーションツールなのだと実感した。このように、僕は中国人の中で、ちょっと珍しい日本人として楽しい学校生活を送った。と、今まではそう思っていた。しかし、僕と先生方や友人達との関係は、決して物珍しさだけでないと確信できる、そんな話を、先日、父の友人から聞いた。

 父の友人というのは、上海に住んでいたころから常々「英人に会わせたい人がいる」と父が言っていた方で、四年越しに実現した対面だった。父と仕事上関係のあった方で、中国人でありながら驚くほど流暢な日本語を話した。日本語は単身で日本に留学して習得し、その後、日本の会社に就職し、今では常に高い業績をあげ、誰もが一目置く存在だという。がっちりとした体つきは少し怖そうにも見えたが、僕を見る眼差しはとても優しかった。その方と僕には、身体障害者という共通点があった。だからという訳ではないが、その方がこれまで経験してきた出来事はどれも息を吞むような話ばかりで、夢中になって聞いた。日本に留学して三日目に降った大雪があまりに大変で絶望した話、学校の成績が一番になった時の約束で買ってもらった自転車に三年かけて乗れるようになったこと、語学の習得には環境が大切ということなど、どれも興味深かった。障害があっても自分が成し遂げたいと思うことはとことんやり抜く、時には時間がかかるかもしれないがやってはいけない事など無い、「限界を作るな」ということを教えてくれた。今の僕には、色々つらいことがあるけれど、もっと自由にチャレンジしてもいいのではないかという話を聞いて勇気が湧いてきた。そして「留学していた当時、役所から障害者スポーツセンターを紹介されて行ってみたけど、障害者が身体を動かしていたけど…」と話が続いた。「中国には障害者向けの立派な施設はないけど、誰でも普通に街中で物乞いに施しをするでしょ。そんな人も受け入れる中国人の方が寛容かもしれないね」と。その話を聞いて僕はハッとした。何を思い出したかというと、上海で通う学校がなかった僕に、障害のことを問うことなく「明日からでもいらっしゃい」と言ってくださった王校長先生、困っていると知らず知らずのうちに集まってあれこれ助けてくれる友人達、日本では座席を譲られたことなどなかったが、上海では大声をかけられ全力で席を譲られたことなどだ。このような僕が上海で体験した出来事は、偶然でも興味本位でもなく、される側もする側もごく自然体である。このことこそが、中国に根差したノーマライゼーションの本質ではないかと気付いた。

 僕の勝手な想像だが、父の友人のように、障害があっても限界という壁を作ることなく、努力をして成し遂げる強靭な精神が生まれるのも、中国だからなのかもしれない。僕に色々な気付きをくれた父の友人に感謝したい。

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