絆創膏

2019-07-01 09:43:02

日野 鈴香


宿題が少ないから、という理由で中国語の授業を取った。私の通う学校では外国語が選択必修科目となっており、二年間その言語を専門的に学ばなければならない。サボり精神で中国語を選択した私である。中国語を真面目に勉強する気なんてさらさら無かったし、中国語を活用することだって絶対にないと思っていた。イーアーサンスウ。呆けた顔で数字を音読する二年前の私は、未来の自分が必死に中国語を勉強しているなんて考えもしないだろう。

去年の夏、地元が被災地になった。衰えることのない雨音がライフルの銃声のように感じ、死ぬかもしれないという恐怖で一睡もできなかった。私の住む愛媛を大雨が襲ったのは、くしくも七夕の夜だった。天の川でなく濁った茶色の濁流が町を飲み込んだ。天のライフルは多くの尊い命と日常を無残に撃ち抜いたのである。

 私の住む町は小規模の土砂崩れが起きただけですんだが、被害の大きい地域では線路も道路も土砂に埋まり、救援にすらたどり着けない状況だった。電話もインターネットも繋がらず、ボランティアには行けない。自分にできることを考えているとき、被災県の観光客減少を伝えるニュースを見た。愛媛では直接被害のない松山市の道後温泉の予約キャンセルが相次いでいるのだという。夏の旅行が道後に決まった。

 豪雨から一週間後に道後を訪れた私はショックで目を見開いた。観光客がいない。少ないのではなく、いないのである。いつも観光客で賑わう商店街は閑古鳥が鳴いていて、毎日行列ができる道後温泉本館の風呂はほとんど貸し切り状態だった。豪雨の影響は観光にも深刻な影響を落としていたのである。失意の中ホテルに戻り一夜を過ごした。人影の見えない道後の夜が侘しくてやるせなかった。

 翌日の朝、チェックアウトのときに、ある家族連れの後ろに並ぶことになった。彼らは中国から来ているらしく、授業で学んだ言葉をぽつぽつと拾うことができた。豪雨から一週間、日本人でもキャンセルしているのに、海外から来るのは怖かっただろうに、来てくれたんだ。胸がじんと暖かくなったところに、前から「頑張ってください」の声が聞こえた。家族連れの父親が言ったらしく、フロントに設置された豪雨の募金箱に後から子供がお金を入れるのが見えた。フロントスタッフは感極まった顔で「本当にありがとうございます」と震えた声で呟き、後ろに並ぶ私も思わず「謝謝」と続いた。知っている中国語は謝謝だけだった。 

彼らは驚いて振り向き、私にも「頑張ってください」と伝えるとホテルを出て行ってしまった。彼らに伝えたい言葉が、伝えたい感謝がたくさんあったのに、言葉の引き出しが少ないせいで謝謝の一言しか伝えられなかった自分がもどかしくて、悔しかった。

日本では怪我をしたとき傷口に絆創膏を貼る。絆を創ると書いて絆創膏である。中国で絆は良い意味で使われていないが、日本では信頼や結びつきを表す言葉だ。絆を創って傷を治す。中国の家族が伝えてくれた「頑張ってください」の一言は確かに私やスタッフの心を癒す絆創膏だった。誰かを思いやる気持ちに国境はないのだと改めて感じた。日本が中国に付けた傷は決して浅いものではない。それでも両国に災害が起こった時にはお互い助け合っているように、絆を創り続けることで癒される傷も、新しく生まれる友情だってきっとあるのだ。私も絆創膏を貼れる人間になりたいと強く思う。

 

 私は今、中国語を勉強している。中国語は日本語と似ているようで難しく、中国の「中」の発音や四声の聞き分けが下手くそで先生にはいつも笑われている。西日本豪雨から2週間後には四川で大きな台風被害が起こった。中国で行ってみたい場所はたくさんあるが、まずは四川に行きたい。めいっぱい旅行を楽しんで、そして感謝を伝えたい。愛媛も完全に復興したとは言えないが、それでも日常が戻ってきつつある。夏に貼られた絆創膏の暖かさを私は一生忘れない。

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