〜中国〜未知なる国

2019-07-01 09:43:01

瓜生田 彩月


 中学生の頃、私には中国人の友人がいた。新しいクラスになり、不安でいっぱいだった私に笑顔で話しかけてくれたのだ。彼女は私に中国の話をたくさんしてくれた。どれも、びっくりするような、面白い話ばかりだったのを覚えている。彼女と過ごす時間はとても楽しかった。高校生になり、別々の進路を歩むようになってからは会えなくなってしまったけれど、彼女と語り合った思い出は私の宝物だ。

 私は彼女に出会ってから、中国という国に興味を惹かれるようになった。中国ってどんな国だろう?どんな人が住んでいるんだろう?そして私は今、中国に行きたいと強く思っている。

 昨年8月、動物公園アドベンチャーワールドで新たな命が誕生した。ジャイアントパンダの雌の赤ちゃんだ。名前は彩浜。これからも何気ない日常に彩りを与え、明るくて前向きになれるような未来のしあわせを創る存在になってほしいという願いが込められている。そして私は、このパンダの名付け親となった。

 白と黒のふさふさの毛。ぱっちりとした目。パンダは日本中の人気者だ。日本に初めてパンダがやってきたのは1972年。日中国交正常化の記念として贈られた。今では日本での繁殖も成功し、多くの赤ちゃんパンダが誕生している。

 私は生後半年になった彩浜に会いに行った。前からパンダは好きだったが、名付け親の1人となったことを考えるとさらに愛おしく感じる。その日は機嫌を損ねていたのか、彩浜は観覧客にずっと背を向けて座っていた。それでも、時折見せてくれる可愛らしい顔に思わず癒された。パンダを見ていると、飼育員の方が彩浜の誕生時と同じ大きさの模型を見せてくれた。私の手の平に乗ってしまうほどの小さなものだった。その時、私は新聞で目にしたことを思い出した。

 彩浜は誕生時、体重75グラムで母親良浜の子供の中では最も体重が軽かった。初めは自力で母乳を飲むことも出来ず、生存が危ぶまれたが、職員が24時間態勢で赤ちゃんを見守り、懸命なケアをしたおかげで彩浜はすくすく成長した。私は彩浜が必死に生きようとする姿と、その小さな命を守るために奮闘する人達の姿に思わず感動した。

 これまでアドベンチャーワールドで生まれたパンダの名前には「浜」の文字がつけられている。そのため、中国ではこれらのパンダは「浜家」と呼ばれ、高い繁殖力を誇っているそうだ。日本の施設で育ったパンダも繁殖可能な年齢になると中国へ旅立ってしまう。同施設では既に11頭のパンダが中国へと渡っているそうだ。彩浜もいずれ中国へと旅立つ日が訪れるだろう。とても寂しいものではあるが、日本と中国を結ぶ架け橋になってくれるだろうと思う。

 私はこれまで、中国という国はどこか遠い存在のように感じていた。確かに距離にしてみたら遠いのかもしれない。しかし、彼女や彩浜に出会ってから人同士の距離はもっとずっと身近なものであることを知った。言語が違うから。考え方が異なっているから。そんな理由で線を引いていたのは私自身なのかもしれない。彼女と机を並べて勉強し、一緒に笑いあえたように。小さな命を守るために、日本人と中国人が共に協力しあったように。日本と中国の間には様々な障害を乗り越えられる強い絆がある。私は中国についてもっといろんなことを知り、理解したい。だから、まず第1歩として中国語を勉強するところから始めてみようと思う。そしていつか、中国を訪れた時、中国の人との会話を通して心が通じあえるようになりたい。

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