氷の微笑

2019-07-01 09:43:01

小嶋 心


その店員はずっと私のことを睨んでいるようだった。

私はホテルに着くとすぐに、大学の先輩のAさんから1時間後に部屋に集合するようにと連絡を受けた。その晩は中国に降り立ってから6回目を数える夜で、1週間の旅程の最終目的地である上海に到着したばかりだった。明日の帰国を前に今夜は旅の思い出を朝まで語り合うに違いなかった。私は飲み物やスナック菓子を買いうための幾らかの現金を持って上海のネオン煌びやかな繁華街に繰り出すと、ふと見慣れた看板が目に留まった。「Family Mart」。店舗の色彩も、サイズも日本で見慣れたそのものである。買い物を済ませる前にゆっくり中国のFamily Martの商品を手に取って見てみようと店内を歩き回りレジ前を通り過ぎたその刹那、私は私を取り巻くある違和感に気付いた。違和感のする方向を振り向いてみると、確信へと変わった。レジでバーコードリーダーを持つ1人の同年代の女性店員が私を鋭い眼光で睨みつけている。身に覚えのない眼差しは何度見返しても変わらなかった。「何かお店に不利益な行為をしたのだろうか。」と理由を探りたい思いに駆られながらも、目的を済ませ今すぐにこのFamily Martから退店することが最も適当な選択だろうと判断した。カゴを急いで手に取り、人数分の飲み物とスナック菓子を選ぶことなく放り込み恐る恐るレジへと向かった。レジは私を睨む女性店員と、店長らしき男性店員のどちらかが行うことになる。レジへと続く列に並ぶ私は順番が近づくにつれ額に汗が流れていた。

運命は時に残酷なものである。私に手招きしたのは、あの睨む女性店員だった。女性店員はレジ打ちをする時も商品に目を向けるのではなく私を注視しているように思えた。中国で当たり前とは聞いていたが、レジ袋に買った商品を投げ込んだり、硬貨をトレーに投げ入れたりするその店員の姿が目つきと相まってとても冷たく感じられた。もう明日はこのFamily Martには行くまいと心に決めて自動ドアへの一歩を踏み出した時、私の耳はワンフレーズの日本語を聞き取った。「ありがとうございました。」カタコトであるが、はっきりと聞こえた。声のする方向を振り向いてみると、それはあの女性店員だった。

ホテルに戻るや否や一連の出来事を説明する私に先輩のAさんは異なる解釈を指摘した。「睨んでいたのではなく、1人で店内を歩く外国人の君を気にかけていたんじゃないの。」と。だとすると、帰り際の「ありがとうございました」は彼女なりのおもてなしの精神から発された挨拶だったかもしれない。私の中でその夜何度も何度も、カタコトの「ありがとうございました。」が反芻された。

今日、日本各地で中国人を目にする。日本政府観光局による2018年の訪日中国人は、838100人だそうだ。私達にとって中国人はとても身近な外国人観光客だと言える。しかしこれまで自分から日本で中国人に声をかけたことはなかった。ある日電車に乗っていると、ずっとGoogle MAPで目的地を探している中国人観光客を見かけたことがある。明らかに困っているようだったが、声をかけられなかった。

「おもてなし」は日本人の繊細な心配りの代名詞だとこれまで私は信じてきた。しかし私達一人一人に照らし合わると、日本での「おもてなし」はガイドブックやキャッチコピーとしての企業やマスメディアが主導するプロパガンダであって、外国人に対して本当にその精神を持っているのかは定かではない。

私の周りには中国人の図々しさや無神経さに苦言を呈する人もいるが、逆に街行く中国人に対して何か些細なことでも気にかけたことがあったのかと今こそ問いたい。

上海の目を指すようなビル明かりとネオンに照らされたFamily Martで働くあの店員は、日本人に対して帰り際「谢谢」ではなく「ありがとうございました」と伝えている。

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