心のままに

2019-07-01 09:43:01

坂入 未来


听不」これは、あなたの言葉を聞いたけど意味が分からない。という言葉で、外国人旅行者である私にとっては、伝家の宝刀とも言える言葉である。物売りや客引きの声掛けに対して、一撃必殺のキラーワードと言っても過言ではないだろう。

しかし、驚くべきことに、この言葉を私は中国人同士の会話で聞いた。上海の市場に行った時、買い物客が値段交渉をしていた。店の主人は断るが、客は食い下がらず、まけて欲しいと再度懇願する。その時だ。店主はその相手に向かって「听不懂吗?!」と声を荒げたのである。「听不」は私たち外国人の御用達の言葉だと思っていたので、まさか本家同士で使われるなど思ってもみなかった。しかも相手は客と店主だ。そして店主は「この商品は手塩にかけて作った商品なんだ。だからこの値段じゃないとだめだ。」と力説する。この光景を見た時、私の中で電撃が走った。言いたいことを言う。それはたとえ、店主と客の間においても当然許されるべき感情なのである。その当然の権利、そして剥き出しの人間らしい感情を私はすっかり忘れていた。

その後、2人は話の折り合いをつけ、その商品は客の手元へと渡った。店主は先ほどの表情と一変し、満面の笑みを浮かべ、商品を渡している。自分の感情のままに生きること。それを目の前で見せつけられ、私は放心状態だった。

日本は本音と建て前があり、思っていることを言わない奥ゆかしさが、反面、相手の言っている本心が見えない弊害も生んでいるのが現状だ。気の進まない集まりに、自己保持のために参加し、相手のご機嫌を取るために、思ってもないことを口にする。当時の私は、自分の言葉の何が本当で、嘘か分からなくなっていた。

その後、私は、中国からの留学生しんちゃんという女の子と友達になる。私は人と会いたい時、相手は今忙しくないか。私が誘ったら迷惑なんじゃないかと雑念が頭の中を浮遊する。そこで「〜だから会おう」と会う理由をつけた上で、声をかける。しかし、しんちゃんは違った。「私、今、寂しい。あなたと会うと楽しい。だから会いましょう」彼女の真っ直ぐな言葉は、私に心に深く染み渡った。理由なんていらない。会いたいから、会いたいと言う。子供のように感じたままに言葉を発することが私は気づかないうちに出来なくなっていたのだ。彼女の言葉に、ふと心が軽くなったのを感じた。

私が体調を崩し、入院した時、しんちゃんは、「成語」について書かれた本をくれた。私は成語の世界に熱中した。たった4字の中に、数々の物語と心理情景が映し出されている。成語は、病室から出られない私にとって、色鮮やかで、人間の機微に触れる、かけがえのない世界の入り口となった。

ある日、しんちゃんは、私が入院する病室に泊まりたいと言ってトランクケースをひいてやってきた。大学院に合格し、明日の朝には東京に行くのだと言う。私のいる4人部屋は宿泊が禁止となっていた。私は看護婦さんに事情を説明しお願いしたが、断られてしまった。すると、しんちゃんは看護婦さんに「一緒にいたい」と泣きながら懇願し始めたのだ。それを見て不憫に思った看護師さんは、特例で宿泊を許可してくれた。

看護師さんがその場を立ち去ると、先ほどまで涙でむせび泣いていたしんちゃんは、表情を一変し「とんちんとんちん♪」とVサインをして笑っている。トンチン、つまり同情。看護師さんの同情を得たという勝利のVサインだったのである。そして「日本人すぐ諦める、ダメ!中国人とても大切にする、ここ!」と言って、左胸を誇らしげに叩いてみせた。その姿を見て、思わず私は吹き出してしまった。まっすぐな言葉は人の気持ちを動かす。自分の気持ちに素直に、正直に生きると、呼吸しやすくなることを、彼女は私に教えてくれた。

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