言語と性格

2019-07-01 09:43:00

福留 紅美


 私の性格は、内向的。心の中には思っていること、したいことがあふれるほどあるのにそれを外に出すことをせず、自分の内側にこっそりと隠している。自他ともに認める消極派である。

そんな私にもう一人の自分がいたことを知ったのは、去年のこと。私は去年の三月から今年の一月まで、約一年間中国に留学をしていた。留学して間もない頃、私は中国人と交流するために多くの日中交流会や企画を探し、見つけては積極的に参加していた。わたし個人の勝手な偏見と解釈になるが、中国語を勉強する日本人は、すごく明るい人が多い。自分の意見をやや強引に押し通し、自分をアピールすることに長けているような人。日本にいると、ややわがままな人と思われがちな人。彼らはもちろん私の参加する交流会の常連でもあった。大きな丸いテーブルに数人の日本人、中国人が座り、自由に話しをする交流会。私はそんなキラキラした日本人に背を向け、中国人にぎごちない中国語で話しかけだす。自分のこと、友達や家族のこと。彼らは私のボロボロな中国語を笑顔で受け入れてくれた。その後、彼らはなんと私に対して、「あなたは同じテーブルに座っている日本人よりずっと明るいし、積極的で自分の意見を口に出せる人なんだね。」と評価をした。その評価は、数人だけに留まらなかった。私は、ますます自分が分からなくなった。それが自分が抱いている自分自身の性格とかけ離れた評価だったからだ。しかし、その時に少し分かってきたこと、それは、人は話す言語によって性格が変わってしまうということ。日本語ではろくに自分の意見を口に出せない私は、中国語になると自分の意見を押し通すようになる。いつもニコニコして話を流す私が、納得いくまで意見を交わすようになる。これは私にとって驚くべき発見であった。同時に、このような変化があるのは私だけではないはずと思い、自分のまわりにいる友達、特に私と仲の良い日本人、私のランゲージパートナーであり、日本語を専攻している中国人、中国の大学の本科で日本語を専攻している韓国人の3人にしぼって彼らをこっそり観察することにした。

まずは、日本人の友達。彼女は日本語で話すとゆったりとしていて、表情が柔らかく、穏やかな子だ。ある日、中国の友達を入れて食事に行った時のこと。彼女が話す中国語が日本語のそれとは違うことに気づいた。驚くなかれ、彼女が話す中国語は口調が荒く、眉間にはしわが寄っている始末だ。次に、中国人の友達。彼女はとても分かりやすかった。彼女は日本語で話しかけるときは、とても可愛い声で微笑みながら話しかけてくる。しかし、私が中国語で質問すると、急に別人になる。私の耳元に鋭く中国語を注ぎ込んでくるのだ。言葉にも張り合いがあり、彼女のまっすぐで熱い素の一面を見せつけられたようだ。最後に韓国人の友達。彼女は三か国語も操っているため、非常に興味深かった。結果をいうと、やはり3つの変化があった。まずは母国語である韓国語。やはり性格通り、爽やかな笑顔で明るい口調で話していた。次に日本語。習いたてとあって、丁寧語を使いながら、ゆっくりと小さな子供のようなかわいらしい口調で話しかけてくる。最後に中国語。彼女の表情がキリッと変わり、畳みかけるような口調でサバサバと自分の意見を切り込んできた。韓国人の彼女は特に、私のルームメイトであったため、どの言葉で話すかによって無意識に態度が変わる彼女を見るのがとても面白かった。

これらの経験から、私は言語と人格は少なからずつながりがあると思った。母国語をつかう時、外国語をつかう時、どちらが自分の本当の性格なのかは分からない。しかし、中国語を勉強し始め、新しい自分の性格に気づき、新たな自分を見つけることができたことはなによりの発見だし、これからも二人の自分とうまく付き合っていけたらいいなと思う。 

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