言葉の力

2019-07-01 09:42:08

竹内 美咲


「どうして中国語を勉強しようと思ったの?」

これまで幾度となく投げかけられてきた質問である。決まって私は、将来仕事で役に立ちそうだと思ったから、と当たり障りのない回答をしてしまう。まさか中国に良い印象を持っていないから、却って中国語を学んでみたくなったとは誰も思うまい。

以前の私は、取り立てて中国に興味があるわけでもなく、テレビやネットから得る情報だけを頼りに中国のイメージを形成していた。

中国語を勉強しようと決意したのは、ちょうど大学受験を意識し始めた頃であった。当時は「島」を巡る問題から日中関係が極めて悪く、連日、メディアが抗議デモについて取り上げていた。破壊された日本車、建物の襲撃や商品の略奪から休業を余儀なくされた日系スーパー。日本人として非常に心が痛み、中国に対する印象は自ずと悪くなるばかりであった。

しかし、メディアを通して目にする光景に不快感を覚えつつも、いつからか次第にある感情が芽生えるようになった。

「中国のことを知りたい。そのために、まずは中国語を学びたい。」

こうして私は大学で中国語を専攻することに決めた。

いざ中国語を勉強し始めると、日本語にはない発音や声調に苦戦した。この壁を越えられたのは、ひとえに中国人留学生たちによる熱心な協力のおかげである。また、彼らとの出会いから多くの中国人が日本に関心や、好感を抱いていると知った。

とは言うものの、実際中国を訪れた際には、日本人であるが故に嫌な思いをするのではないか、という不安がよぎった。

しかしながら、それはまったくの杞憂であった。拙い中国語での注文を辛抱く、聞いてくれた店員や、中国語を勉強している日本人の私に興味を持ち歓迎してくれた現地の人たち。そこには民族感情を介さない人の温かさが感じられた。メディアから得るだけだった中国のイメージは表面的なものでしかなく、たとえそこに歴史や政治を巡る感情があったとしても、親睦を図れると実感した。それと同時に、私はこれまでの視野の狭さを恥じた。私にとって遠い存在だった中国は、物理的だけでなく心理的にも近い国へと変化を遂げた。

しかし、変わったのは中国に対する印象だけではない。自身の性格にも大きな変化が現れた。私は小さい頃から内向的で、自分の意見をはっきりと伝えることが苦手だった。そのため周りの様子を伺い、空気を読むことばかり気にしていた。中国人との交流を通して感じたのは、自分の意見をはっきりと述べる人が多いことである。彼らの影響を受けた私は、自身の生き方に息苦しさを覚えるようになった。今では彼らに倣い、自分の意見を臆することなく述べるよう心掛けている。中国語学習を通じた中国人との交流こそが、これまでの自身の常識を覆し、視野を広げるきっかけとなった。さらに人間としても大いに成長出来たと言える。

そんな私には、いま夢がある。それは、日本語教師の資格を取り、いずれは中国へ渡って日本語教育に携わることである。

言葉の力は強い。言葉は意思疎通のためだけではなく、相手の国を深く理解するための手段でもある。もちろん今日では、インターネットの発達により、あらゆる情報が簡単に手に入る。しかしそれらの情報には、時として発信者の主観や偏見が含まれており、必ずしも物事の本質を捉えているとは限らない。その国の言葉を理解した上で、初めて得られる情報や発見は多く、それは相手の国へのさらなる理解へと繋がるだろう。また、言葉は相手の心を開くきっかけにもなる。その国の言葉で話し掛けたことから思わぬ交流が生まれる、これは私が中国を訪れた際に何度も経験してきたことである。

これから先、言葉を通じてさらに多くの中国人と出会えると思うと楽しみでならない。私は言葉の力を信じ、これからも日中交流を深めていきたい。

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