15歳のわたしへ

2019-07-01 09:42:08

 森 優紀子


 私の同級生は、私を名前で呼ばなかった。

 

 “small Japanese

 

 オーストラリアに住んでいた私は現地の公立高校に通っており、英語が第二言語の者を対象とする授業に出ていた。そのためクラスにはアジア人が多く、同級生はほとんどが中国人だった。日本人は私ひとり。当時は何と言われていたかわからなかったがクラスの男子は私に中国語であだ名をつけた。それが日本人の蔑称だと気づくのは少し後の話なのだが、もともと彼らの全てに興味があり中国が大好きだった私には大変ショックな出来事だった。顔を合わせて間もない頃からそう呼ばれ、歴史についても日本側であるお前はどう思っているのか、なんてことを毎日聞かれた。特に社会科の勉強が嫌いで興味もなかった私は、これほどきちんと歴史を勉強しておけばよかったと後悔した瞬間はなかったと思う。それと同時にそこで少しずつ気づきはじめるのだ、まだ数日しか顔を合わせたことのない彼らだが確実に私を嫌っていると。単純に仲良くしたかったし、性格の不一致などではなく日本人だからという変えようのない事実に傷ついたのは初めてだったのもあり、まだ15歳だった私は、自分はどうして日本人なんだろうと悩んだりした。

 いろいろと感じたり経験したりしているうちに1年が過ぎた頃、運命というのか、学校の勧めで中国人と同じ屋根の下で一緒に暮らすことになった。優等生のサニーと少しヤンチャなキティ。うまくいく気がせず全員が不安だったと思う。だが私たちの友情は簡単なことで花開いた。夕食時、キティが好きな人がいると私たちに打ち明けたのだ。「どうりで最近帰りが遅いと思った!」とサニーが心配になって大慌てしたのがおかしくて、大笑い。「いいんじゃない?キティは美人だし、当然ステキな男の子だって現れるよね」と私が言うと「かっこいいの?」とサニーが続けたので、3人でまた大盛り上がり。その日からは一緒に3人で外出したり、悩み事を相談したりと自然にお互いのことを本当の兄弟のように気にかけるようになっていた。

 ある日、いつも通りサニーと一緒にいると「実は日本人に良い印象がなかった。」と口を開き始めた。どうして?と聞くと「歴史が好きだから」と。悪い民族だと思っていた、本をたくさん読んだから、と続けた。自分がなんと返したかはっきり覚えていないが、気まずくて「サニーは頭がいいからなあ~!」とかそんなバカみたいなことを言ったと思う。すると彼女は私の手を握って「でも今は全くそんなこと思ってない」と言った。私がまた同じ調子でどうして?と聞くと、彼女は悩まず私の目を見てこう答えた。

 

 「あなたがいい子だと気づいたから。」

 

 日本人の友達なんて今までいなかったから知らなかった、と。

 その頃の私には高校に入ったばかりの時とは違い数えられないほどの中国人の友達がいたので自分でももう平気だと思っていたのだが、私の気持ちを読み取ったのか、勇気を出して伝えてくれた。

 毎週KTVで中国の流行曲を教えてくれたのも、意味もなく珍珠茶を飲みながら唐人街で一緒に遊んでくれたのも、みんながバラバラになってしまうから最後一緒に卒業旅行に行きたいと私を誘ってくれたのも、当時私に「あだ名」をつけて呼んでいた彼らだった。私が上海に1年留学した時はみんな応援してくれたし、今でも元気かと連絡をくれる。

 

 15歳の私に伝えたいことがある。

 国境が壁になる場面はこれからももちろんたくさん出てくる。争い合った時代がある相手、言葉が通じない相手と関わるのは誰でも不安だ。よく知っているようで無知であるが故、お互い理由もなく傷つけ合ってしまうこともあるかもしれない。歴史的な過去を忘れ去ることや許すことは決して簡単ではないが、これからはますます個人的に両国の者同士が実際に出会ったり関わったりすることで、理解し合い、支えって過ごしていけるようになると、今少し大人になった私はそう信じている。

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