私が中国を好きになった理由

2019-07-01 09:42:08

上野 聡子


 私と中国の出会いは、昨年の夏季休暇だった。私は長期休暇にボランティア活動をしており、昨年の夏季休暇に参加したのが、中国での緑化活動だった。なぜこの活動に参加したのかといったら、仲の良い大学の先輩が前回参加しており、勧められたから、という理由だ。私は活動に行くまで、中国に対して思い入れを抱くようになるとは思いもしなかった。

 私達が行った主な活動は、内モンゴル自治区での緑化活動と学生との交流だった。緑化活動の前に、砂漠化の問題を学ぶ為資料館へ行った時、北京の高校生も来ていた。見学の後半で、あちらの先生が声を掛けて下さり、高校生達と少しの間交流することになった。北京の学生は英語が話せたので、コミュニケーションは難しくなかった。私は第二言語で中国語を専攻していた為、中国語で自己紹介をしたら喜んでくれた。ノートを持ち歩いていたので、お互いの名前を書いて、自己紹介をし合い、中国語での発音を丁寧に教えてくれた。中国語の先生以外の中国人と交流するのは初めてだったが、中国の方はフレンドリーだなという印象を受けた。みんな親切で、私達に興味を持ってくれ、一緒に写真撮ろうと声掛けてくれた。私はこの交流をとても楽しんでいた。

 緑化活動では、整備された砂漠地帯にポプラの木を植えた。そして、大きく育っている木の枝の剪定や道の整備などをした。私達の代で完成した道は、朋友(ポンヨウ)ロードと名付けられた。毎年少しずつ作りあげてきた道が、私達の代で完成し、感慨深く感じた。次に、前回の活動時に先輩方が植えたポプラの木を見に行ったところ、うまく成長していない木が多くあった。この場所で木が成長する事がどんなに難しいのかを目の当たりにした。私は、自分たちが植えた木々が大きく育ってくれることを願う事しかできなかった。木を植えたところで育つかどうかわからない状況に、無力さを感じた。

 私達は内モンゴル自治区の高校生と交流をする機会があり、一緒に食事をしながら、出し物をした。日本の文化であるよさこいや伝統的な衣装を着たファッションショーなどを披露した。高校生達は、英語を話せる子がほとんどいなく、コミュニケーションが難しかった。日本語が少し話せる学生はいた。しかし、言葉が通じなくても、最後にはみんな仲良くなり、肩を組みながら歌を歌い、別れを惜しんだ。私はこんなにも学生との異文化交流が楽しいとは思わなかった。相手のことや中国の文化をもっと知りたいと思った。そして、中国語が話せない自分にがっかりした。もし話せたらもっと相手のことを知る事ができたのに、と悔しく思った。

 最後に、北京の大学生と交流した。日本語を専攻している学生との交流だった為、コミュニケーションに難はなかった。大学生との交流という事で、ワークがあり、深い話をし、中国の近状や日本のイメージなど、様々な話題について話し合った。メディアを通さないで他の国について知るという事がないので、リアルな話が聞け、とても勉強になった。北京の大学生達とは、一日自由行動もした。伝統的な場所から近代的な場所まで連れて行ってくれ、私達を楽しませてくれた。別れが惜しいくらいに仲良くなり、みんなとの再会を誓った。

 私が中国に来て後悔したことは、勝手な中国に対しての先入観を持って行ってしまった事である。中国の方に対して申し訳無い気持ちになり、また、自分に対しても残念な気持ちになった。私は中国で出会った朋友が大好きだ。こんなにも私達のことを良くしてくれ、親切にしてくれた。人には先入観があるからこそ、行って目にする事が大事だとも言ってくれた。私と関わった方々のおかげで、私は中国が大好きになった。私が現在も中国語を勉強しているのは、この経験があるからである。私は中国との出会いに感謝している。これからも私が精進していく原点である。

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