後輩達へ

2019-07-01 09:42:08

山本 勝


何度思い返しても最悪の出会いであった。「竹林にはどうやって行きますか」__京都は嵐山の駅前で、突然中国語で話しかけられた。目の前に案内看板がある上、大勢の観光客やガイドがいる中で、私に。一瞬、中国語が分からないふりをしようと思ったが、それも可愛そうだと思い、ぶっきらぼうに「真っ直ぐ行って左」とだけ答えた。これが私とスーチーの出逢いだ。

 身重の妻が隣に居たからかもしれない。いつも以上の警戒心を持って対応する私に対し、彼は何を思ってか、矢継ぎ早に日本旅行中の出来事を語り出した。ホテルで返金対応がしてもらえず、困った話やお金の相談をして来た。悪口まではいかないが、日本というよりは日本人に対してあまりいい印象を持っていないと感じた。

 可愛そうだが、お金の貸し借りはしたくないので、「日本人」である事を明かした。驚く彼に昔、北京に留学していた事を告げると、彼も北京に留学しているモンゴル人である事が分かった。少しだが、警戒が緩んだ。

 そうこうしているうちに竹林に到着。最後に竹林に来たかった理由を聞くと「好きな中国映画『グリーンオブデスティニー』の舞台だから」と答えた。私も好きな映画であり、「舞台は黄山の麓の村だよ」と答え、中国映画が好きで中央戯劇学院に留学していた事を話した。

 結果的にこの一言が全てを変えた。「私もそこに留学しています」と彼が興奮気味に話しかけて来て、その熱量は一瞬で私に伝播し、ふたりで固い握手を交わした。あまりに一瞬の出来事で、今度は妻が驚いていた。無理もない、警戒しろと言っていた相手と仲良くなっているのだから。

 そこからは一緒に観光した。竹林から天龍寺を巡り、渡月橋に至るまで、中国映画や北京の変化、日本のアニメの話で盛り上がり、話題は尽きる事はなかった。道すがら、周恩来が日中友好を記念して植樹した木があり、眺めながら彼が「中国が繋いでくれた縁ですね」と言った。日本の京都でモンゴル人と中国語で交流する事になった縁を不思議に思いながら、首を大きく縦に振り同意した。

 ここで彼は日本旅行を通じて、日本人に対して、いいイメージを持っていなかったが、私と出会って変わったと言ってくれた。私も「最初は詐欺師かと思って警戒した」と思っていた事を遠慮なく伝えて、互いに笑いあった。

 名残惜しいが、渡月橋で記念写真を撮り、再会の約束をして別れた。別れ際、「先輩、再見」と言うスーチー。「後輩、何か日本で困ったら連絡しろよ!」と答える私。国籍も年齢も違うけど同窓生で、先輩後輩。でもそれ以上に仲良くなれたのは、共通の共有できる体験があったからだろう。

 後日、大型台風が関西地区を襲い、思い出の渡月橋も損壊してしまった。テレビ報道も大きくされた影響か、スーチーから私達の身を案じる連絡があった。彼の心遣いが嬉しかったし、SNSの発展で気軽に連絡を取り合えるようになった環境に感謝した。

今、中国に留学する人は世界的に増加している。また、経済的に発展を遂げた中国にチャンスを求める人も多い。つまり、今後は今回のような機会、日本に居ながら世界中の人たちと中国語で交流できる機会も増えてくるという事だ。「国際交流」と聞くと英語が必修条件のような気持ちになるが、そうではない。相手を知る上で、その国の言葉を知る事は最も大事な事だし、コミュニケーションを取る上で、相手を想い、中国語や日本語で交流する事が本当の国際交流だと私は思う。

そして「最悪の出会い」はいつしか「奇跡の出会い」に変わり、私達の間で語り草となっている。こうした出会いがいくつも折り重なり、本当の友好関係が生まれていくのだと思う。

今年、中国が誕生して70周年を迎える。次の10年を迎えるまでに、どんな出会いが待っているのか。中国語を学んだ世界各国の後輩達とたくさん知り合えるといいなと、切に願う。

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