中国人留学生達との交流から
私が高校生の頃、中国と言うと何かと悪いニュースが報じられるのを見聞きする程度でしか関わりがなく、身近に中国人の知り合いのいなかった事もあり、悪い印象ばかりが積み上げられていった。当時、中国に限った話ではないが、歴史認識や領有権を巡る問題についての報道を頻繁に見聞きした。それらは、当然ではあるが日本一辺倒の内容であり、又私自身客観的立場から中国側の主張や立場にまで意識を向ける事がなかった。中国の軍事、外交、経済を始めとした多岐に渡る強大な国力の脅威を説いた情報も、冷静さや客観性を欠かせるには十分だった。只与えられた情報を鵜呑みにし、嫌っていた。
転機となったのは、大学に入って直ぐの事だった。数人の他は、知合いの全く居ない環境となり、これまでの人間関係が白紙となった事で、それまで意識もしてこなかった日本人の習慣が目に付き始める様になった。八方美人な態度や暗黙の了解、言外での強要、陰口、お茶を濁す要領を得ない回答、異常な迄の完璧主義、結局彼等とは講義等必要以上に深く関わり合う事はなかった。
反対に、留学生達とは気の合う事が多かった。私が英語を話せない為に、殆ど日本語とはなってしまうが、留学生達の方が、特に意外な事に中国人達との方が気兼ねなく過ごせた。歴史認識を巡る議論の際には喧嘩寸前にまでなった事もあり、別件でではあるが実際に口論での喧嘩をした事もあったが、結果として彼等とは腹を割って隠し事なく付き合う事が出来た。
そこには、私が中国語を話せない事を理由に彼等が距離を取る事無く、反対に彼等自身が積極的に集まりに招待してくれた事、母国語ではない日本語になってしまうにも拘らず沢山話をしてくれた事が大きいと思う。彼等が話す日本語は時折多少特徴的な引っ掛かりや表現はあるものの、一般の日本人の日本語より発音一つ一つが明確で聞き取り易く、何よりお互いが回りくどい言い回しや余計な配慮をせずに話が出来た。時には聞き返される事もあったが、それは私が無意識的に意地悪な表現をしていた所為である事が少なくなかった。
中国人同士が集まる時には勿論、私に対する事を除いて殆ど中国語で話がされている為、中国語での箇所は大概聞き取れなかったが、彼等の気分が高揚した結果笑い声や大声が出てくるのだという事は感じ取る事が出来た。反対に、日本人が相槌や尤もらしい返事の代わりに笑い声や高揚した声を多用している姿を目にする度に、会話が楽しいから笑っている中国人に対して、日本人は会話を無理にも続ける為に態と笑うのだという印象を受けた。
中国人留学生との交流を続ける中で、私は我々日本人が彼等から見習うべき物が少なくとも3つあると考える様になった。一つは気持ちに正直になる事、一つは過度に閉鎖的や排他的にならない事、一つは大事小事を区別する事である。私達日本人は基本的に村や四方を囲む海と言った境界の中で暮らしてきた民族である。そうした小さい集団の内々での生活から一変して戦後は都市部への集中、国際化と目紛るしい環境変化に追われる様になった。それに伴い周囲の人間も全員が互いを理解していた状況から、殆ど全く知らない人ばかりの状況に代わってしまった。結果、距離感を計りかね、また関係の悪化を恐れて、或いは知らない事への躊躇から、人間関係を円滑に行えていない様に感じる。
しかしながら、今後資源に恵まれない日本が国家として残るには、国際化や都市集中等の現状は受け入れざるを得ない事である。そうした中では、なあなあで全てを済ませる事は出来ず、知らない事を理由に避けても通れない。反対に一つの人間関係に執着する事や無分別にきっかりと行う事の必要性も大きく減り、現実的でもなくなった。新時代を迎えるにあたりかつて我々の祖先が西洋文化を取入れた際の姿勢は、現在の我々にとっても必要に違いない。