青木保氏の著作から読み解く 「混成文化」説と異文化理解

2020-12-18 10:33:59

王敏=文

著者・青木保氏との出会い

文化大革命が終わってからまだ数年、中国が人文科学系の海外留学を再開した1982年のことだった。日本の論文審査に合格し国費留学1期生に選抜された私は、年明け間もなく憧れの外国文化の日本という地を踏んだ。「同文」の漢字圏を認識しつつ、同じアジア人として親しみは湧いていたが、最初からどこか風俗習慣の違和感が感じられ、ふに落ちなかった。文化のどこかに違いがある。それは物事の考え方の違いなのか――そのような素朴な疑問が膨らむばかりだった。

ある日、図書館でふと手にした『タイの僧院にて』(青木保、中公文庫、1979年)は、私のモヤモヤが解消する一冊となった。日本というか日本文化というか、異文化を見る目が変わる転機になり、文化比較の複眼を手に入れることになった。同書に、修行のため僧院に入る息子を母親が涙を流しながら見送るシーンが描かれている。著者の目には、母親の涙は間違いなく寂しさを訴えているように映る。だがタイの人々には、この涙は母親がようやく一人前になる息子の晴れ姿を見て、喜びに満ちたものに映ったのだ。同じ涙が、日本人とタイ人、それぞれ見る立場が変われば違って受け止められるのだ。著者は、この違いから「魂が震える」ほど目覚め、「心の洗礼」を受けたように認識を改めたという。

母親の涙への小さな「解読」体験が、著者にとっては異文化を発見し、異文化を理解・研究する機会となった。同時に、これを読んだ時、私も目からうろこが落ちた。文化の根底にある共通性の他方には特異性も存在するという「常態」を知らされ、比較考察を通して文化の地域性を見つめる基本を気付かせてくれた。そして日本研究に対しても、漢字文化を共有しているとはいえ、異文化理解のスタンスを持つように諭された。この本は、日本だけではなく、インドや東南アジア、欧米、世界を知る指針となった。

著者の青木保氏は大阪大学名誉教授で著名な文化人類学者だ。青木氏は1938年生まれ、アジアの研究調査に40年以上携わり、東京大学先端科学技術研究センターや政策研究大学院大学、早稲田大学、法政大学、青山学院大学などの教授、ハーバード大学客員教授、日本民族学会会長を務めた。2007年4月から09年7月まで、第18代の文化庁長官に在任。民間出身者としては4人目だった。その後、12年から昨年まで国立新美術館館長を務めた。

青木氏は「経済大国」と呼ばれた日本を脱して、1972~73年、バンコクの寺院で得度して修行を行った。身長1・85㍍の偉丈夫で、2枚重ねたけさに裸足、風雨の中を托鉢して歩く。上智大学と東京大学の二つの大学を出たという学歴が役に立つわけでもなく、身分も家柄も通用しない環境でひたすら修行僧の日々を送った。全ては異文化研究のための通過プロセス、「僧侶」の日常を体験した上で異郷を総合的に洞察していった。

全身全霊を投じた成果は、『タイの寺院にて』と、『儀礼の象徴性』(岩波現代文庫、2006年)を中心に反映された。後者の研究は1985年にサントリー学芸賞受賞、大阪大学から博士号(人間科学)を授与された。

青木氏のタイ修行から20年後の92年、「国民文化祭」の大分でのシンポジウムで、パネリストとして青木氏と並んで座った。テーマは「アジアの色と香り」。テレビでも生放送されたので、緊張が倍化したと記憶している。ジャーナリストの草柳大蔵氏が司会を務めた。

その時の「アジアの香り」について青木氏が語られた内容が印象深い。青木氏の、「最高の香りはご飯が炊けたときの香りだ」と会場に響く声が清々しかった。ご飯の香りが本当に漂っているかのようで、私の緊張はいっぺんに解けた。この流れを受けて、「アジアの色」について、私は「赤」の持つ共有の価値を事例に挙げてアプローチすることができた。

学徒の私には、日常生活から抽出した知恵と万人共通の共有に基づく学問とは何かを再認識する機会になった。「ご飯の香り」という名言が文化研究の本質の深みへ導いてくれたと思う。

青木氏は、アジア諸国の知恵を軸に、アジア共通の価値観と平和の基盤のための信念と実践を貫き、40年来アジア各地を視察し続けた。その成果を多くの有志と共有したく、浅学非才ながら私は2008年、青木氏の三つの著作を中国青年出版社から翻訳出版した。

 

長期にわたる中日文化交流への貢献により、筆者(左)は2009年に文化庁長官表彰を受けた。表彰状を渡すのは当時の青木保・文化庁長官(写真提供・筆者)

 

中国でも読まれた好著

青木氏の『「日本文化論」の変容――戦後日本の文化とアイデンティティー』は、1990年に出版され、吉野作造賞を受賞した。戦後の日本文化論の展開・軌跡と到着点を整理し、ルース・ベネディクトの名著『菊と刀』への批判を再批判して、文化相対主義的考察を提供した。また、現代日本文化の開放性と客観性を説き、印象的な日本文化論と感情的な日本文化論から脱却する超越を見せている。

サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で予測したように、東西対立の時代が終わると、異文化の対立がますます表面化してくる。そのような状況下の2001年に、青木氏は『異文化理解』(岩波新書)を世に出した。

文化を入り口として世界を理解する新しい時代に突入したが、文化の政治化はますます浮き上がる。グローバル化は異文化交流の機会を増やし、人々が気付いていなかった文化の違いの問題を際立たせる。よって、異文化との関わり方は、現代人にとって欠かせない教養の一つになる。

異文化理解は大概、異文化理解から自文化への理解、または自文化の把握を前提に異文化を理解していく。近代日本が、隣国の中国や韓国を異文化理解の対象として正面から見る視点を欠いていたのも、文化の相互理解が政治化されていたところにある、と青木氏は唱える。

『多文化世界』(岩波新書、2003年)は、「異文化理解」の課題を一層縦横に掘り下げた。「文化の力」は、同一化を強要する圧力ではなく、自他の開放を前提に、それぞれの文化的魅力を追求するよう、文化の多元性を擁護して摩擦と誤認を減らし、世界の平和的発展と繁栄の促進に寄与する。この方面の成果は、ことに日中交流の経験によって証明されたと提唱する。

戦後日本の学界が欧米の価値観に大きな関心を寄せている中、青木氏は、中国の伝統文化と仏教を主幹とするアジアの文化が相互に「混成化」しつつ、その底層にある地域文化の実態と、それに混成した欧米文化の三層構造を分析し、内外においても異文化理解の視座の必須を強調する。青木氏によれば、アジア文化の相互「混成化」は止まらずに進んでいく。「混成」の言葉は老子の『道徳経』にある「万物混成」から取っているという。

アジアにおける「混成文化」の形態定義およびその定義の実証などの貢献が評価され、青木氏は2000年に紫綬褒章を、今春には瑞宝重光章を授与された。 

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