僥倖(侥幸)と熱意

2020-09-10 14:07:50

山内 稜


中国に縁ある二つの出来事が私を大きく変えた。一つの出来事が偏見を解消し、もう一つの出来事が熱意をくれた。今や中国は私にとって深い縁がある国だと考えている。

その出来事の前は、中国に対していいイメージはなかった。大学在籍時の研究室では、中国からの留学生も多く交流も有った。しかし、こちらの主張を受け入れない頑固さや自分勝手と感じる振る舞いを当時の私はうまく許容・理解できなかった。そうして、彼らとの距離感は「友人」ではなくあくまで「同じコミュニティーに属する中国人」であり、中国への印象も勝手に下がっていた。そうして作られた自分の中国へのイメージに疑問を持つこともなかったのだが、その意識は突然変える必要に迫られることになる。

「中国担当になってしまったか…」。きっかけは、札幌国際プラザの事業である「SAPPOROこども領事」にサポーターとして参加したことだった。当事業は、小学生が札幌市内の外国公館から「こども領事」として任命され、その国の紹介を行うという活動なのだが、そこで私が担当する国が中国に決まったのだ。「欧米が良かったなぁ」と考えつつも、子供たちへの説明や紹介資料の作成の為にも、中国という国を調べ始めた。調べるにつれ、国の地理・文化・民族性と情報が膨大で一概にくくれない大きな国であるということを実感した。何より、子供たちが純粋に中国という国に興味を持ち、「中国の人と話してみたい」という言葉が偏見を持っていた私に突き刺ささり、とても小さなことに捕らわれていたなと考えを改めることができた。この活動中に子供たちと中国のPRを進めるにつれ、身勝手な中国への悪印象は無くなった。それだけではなく、中国からの留学生に中国のことを聞いて回っていた際に、親しくなることもできた。この自分の変化を彼らに話すと彼ら曰く「」。日本語での僥倖、すなわち思いがけない幸運のようなことを指すらしい。確かに、この経験は私にとって得難い収穫となった。身勝手な偏見に捉われるのではなく、実際に調べ直接確かめることの重要さや寛容さが身につき、いい友人を得ることができた。

その後、海外に関わる仕事を志望して就職すると、中国人の先輩が指導してくれることになった。この時、先の自分を変えた出来事に大きく感謝した。それまでの自分だったらきっとつまらない先入観を持ち接してしまっていただろう。これをきっと「」というのだろうと実感した。ある時、先輩と話した際に彼の夢は、「日中の架け橋となること」であると教えてもらった。自分の行いを通して日中両国の理解が深まり、多くの人に多様なチャンスが生まれるような展開を作る、という先輩の野心は私にとって衝撃だった。私自身に日本をどうするかというような他者へ働きかける外向きのベクトルの考えがなかったことに気づいたからだ。どちらかと言えば自分はこれからどうなりたいかといった自分本位な内向きのベクトルの考えが強いのではないか。私自身に自分を含めた周囲への熱意や野心があるのだろうかと考えるきっかけとなった。考えつつも仕事に打ち込む中で漠然とだが、世界をいい方向に変えられればと思った。具体性はなくとも、環境問題・災害対策、社会基盤の整備に関わる自分の仕事で実現できればいいと考えを持てた。未だ見通しは甘いが、偏見が解消した経験から人は変わることができるというのはわかっている。だからこそ、自分の仕事を通して、世界を良い方向に変えていくことを目標に据え頑張ることとした。先輩が熱意を中国全土に届けようとしているように自分も熱意を出せるような人間になろうと思うことができた。

あれから熱意を持っていても、自分に足りないことが多いことを思い知らされる日々だが、自分を変えるこの二つの経験ができたのは本当に「」だ。きっとこれからも、「」と思うことはたくさんあり、その度に中国との縁を感じることだろう。

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