『千年の祈り』を読んで

2020-09-10 14:07:49

坂田 恵茉


私はわたしと中国というテーマを聞き、私の身近にあったこの経験を基に考察しようと思う。私は授業でイーユン・リー作の短編、『千年の祈り』を読む機会があった。偶然触れた短編だったが、この物語は私の心を動かし、また、中国に対する私のイメージを変えた。彼女が書く、日常の一コマの中ではっと気づかされる物語は、このコロナウイルス感染症の社会に必要な、相手を思いやる気持ちを思い出させてくれるように思う。

「愛する人と枕を共にするには、そうしたいと祈って三千年かかる。父と娘なら、おそらく千年でしょう。人は偶然に父と娘になるんじゃない。」¹この言葉が物語の中盤、一人娘を持つ主人公から語られる。「修百世可同舟」²という諺だという。例え親子という関係であっても、お互いに歩み寄り、理解し合った先に本当の親子になれるのであって、子として生まれたから必然的に親子になれるものでは無いと解釈した。そして親子でさえここまでの関係が必要とすれば、他の人間関係にはもっと繊細で、深い思いやりを持たなければいけない。コロナウイルス感染症の社会で欠如しているのはこの感情なのではないか。コロナウイルスが日本でも流行してから、何件「自分は感染者だ」と主張して店員や客に迷惑をかけたというニュースを聞いただろう。共に協力し合うはずの人々がなぜ自粛警察と称し、人々を監視して回るのだろう。病院で勤務し、コロナウイルスに最前線で戦っている医師、看護師、そして彼らの子供達にまで、なぜまるで感染者のように距離を置いて接する事が出来るのだろう。自分だけが特別になりたい。自分だけが助かればいい。自分だけ生き残れば良い。こういった裏の感情が露呈した行動だと感じた。なぜ一大事の時に限り、人を出し抜こうとするのだろう。こういう時こそ思いやりを持つべきだ。確かにこの意見は綺麗事で、気持ちに余裕が無い時には自分第一になってしまうのが人の本性かも知れない。そんなときに思い出すのが『千年の祈り』である。「たがいが会って話すには―長い年月の深い祈りが必ずあったんです。」³「どんな関係にも理由はある」⁴。これらの言葉を聞くと、中国人の人柄が目に見えて分かるようである。日本人は比較的、中国政府の政策で中国人の国民性を判断してしまっているところがあると思うのだが(実際私もその1人だった)、そうではなく、家族がお互いに信頼し合い、隣人とも良縁を築ける6文字の言葉をもつ中国を私は好きになり、より興味を持つようになった。また自分の過去を思い返してみて、父の仕事仲間の中国の方とご飯に行ったことがあるのだが、初対面の私にも笑顔で優しく接してくれた。今思うとそこには長い祈りから成る人間関係があったのだと思う。

このように考察してみて、改めて人間関係の脆さと大切さに気づけたと感じる。「修百世可同舟」²の意味にあるように、長い祈りを経て構築された関係だからこそ頑丈になるのであって、そのためにはお互いがお互いを考え、思い合うことが人間関係において何より大事だと言うことを学べた。中国というだけで色眼鏡で見てしまっていた自分が恥ずかしく思う程に、中国の人達が真剣に人と向き合ってきた事が分かる短編、諺にこの時期に出会えて、とてもうれしく思う。自分自身もまず、相手を尊重した人間関係を多くの人と築き上げられるように、人との出会いを大事にしていきたい。

 

 

[引用]

¹リー イ-ユン、篠森ゆりこ(2007)「千年の祈り」『千年の祈り』株式会社新潮社 pp233

²リー イ-ユン、篠森ゆりこ(2007)「千年の祈り」『千年の祈り』株式会社新潮社 pp232

³リー イ-ユン、篠森ゆりこ(2007)「千年の祈り」『千年の祈り』株式会社新潮社 pp233

⁴リー イ-ユン、篠森ゆりこ(2007)「千年の祈り」『千年の祈り』株式会社新潮社 pp233

 

[参考文献]

リー イ-ユン、篠森ゆりこ(2007)「千年の祈り」『千年の祈り』株式会社新潮社 pp225-245

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