あの船旅が有るから今が有る

2020-09-10 14:07:48

 

笹邉 健


上海到着日の朝、甲板に出てみると昨日とは異なる東シナ海の海色が「外国に来たんだ」と生生しい興奮を与えてくれたのをよく覚えている。私と中国との出会いは一つの傷心旅行から始まった、当時19歳の私は初大失恋の後、初海外でそれを克服した。初海外のあの時から中国という国に特別な感情を抱いている。私の初中国は神戸港発上海行の「新鑑真」への乗船により始まる、まだまだ若く青かった私は「何か新しい事をしないと・・・」と焦りの中、往復19.800円の「未知」の客船切符をネットで見つけ勢いで購入した。「とにかく国を出れば何かが変わるかも」と思い、その変えてくれる先を中国に託した。

出発当日、船で国を超える初めての緊張感と興奮は今でも忘れない。新鑑真号の船内は、非常に多国籍であった。日本人、中国人や各国のバックパッカーやビジネスマン等、沢山の国の人達がそれぞれの目的の為に乗船していた。上海までは3日も有った為、自然と他の乗客とコミュニケーションも生まれる中、私は乗客に自分の傷心っぷりを惜しげもなく明かしていた、私の傷心具合を黙って聞いていてくれた一人の中国人が居たか、彼が私の話を聞いた後に言ってくれた一言が、そのまま今の人生を予言していた。当時30歳のその中国人予言者は「まだ君は若い!昔の私と同じだよ、何かを変えたいと思ったこの旅が後の人生に必ず大きな影響を与えるはずだよ。私の場合それが日本だった、日本と一緒で中国もとても素晴らしい国だよ、きっと何かが見つかるはず!」と彼から励まされたのを今でもよく覚えている。

初めての中国への旅の最終目的地を桂林と決めていた。私は上海から蘇州、南京等を見て回り桂林行きの寝台列車に乗り込んだ、中国に来て、それまで全く関わった事のなかった中国人と沢山交流していく中で「中国人はよく笑うんだな」と節々に感じていた。そんなよく笑う人達に連日恵まれ、いつしか傷心旅行であることも忘れ、私も笑顔になっていた。上海から様々な都市を見て回り、珍しいもの美味しいものにも沢山出会えたが、初めての中国で一番感じたのは上海の迫力などから感じる人達の日本には無かったエネルギーだった。

帰国した私は、次の中国旅行すでに意識していた、中国からもらったエネルギーはそのまま中国文化などにもに向けられた、大学では第二言語で中国語をとっていたが、それでは満足出来ずに大連留学を申し込み、独学では満足できず中国語教室に通い、中国が題材の小説を読み漁った。新鑑真号の中で中国人が言ってくれた様に、一つの旅を機に生活が一変した。ふと「自分は、なぜ中国にこれほど惹かれたんだろう」と気になり様々な国に行ってみた、でも他の外国ではやはり物足りない。それはあの時感じた中国のエネルギーなのだと思う。大学在学中に大連に2年間留学し、社会人になり上海赴任を志願して、今は日本で中国の魅力を広げる為、中国語教室を開講するまでに居たった。来年からは、当時19歳の私が体験した興奮を若者にも体験してもらおうと「便利ではない早くもないが経験は飛行機の何倍も大きい船旅で行く中国旅行」を企画する事業を計画中だ。

出来れば若者にもっと自分の目で外国を見る機会を増やして欲しいと思っている。「大事なのは国ではなく人である」事を分かってもらえると、もっと国際社会もいい方向に進むのは分かりきっている。次の世代にそれを体感してもらいたい。私は、初めて中国に行った時にその魅力に圧倒され、中国語を学習し、それを使って仕事をし、今では中国に行く事、中国語を学習し続けることがライフワークになっている。もしあの時失恋しておらず、船に乗って上海に訪れていなかったら今は何かに納得して働いたり勉強したり出来ていないのであろう。あの時、中国からもらったエネルギーを力に変えて、これからも次の世代にも中国の真の魅力を伝えていく。

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