韓信の股くぐり

2020-09-10 14:07:48

山本 勝巳


「申し訳ございません」電話越しの相手にまで深々と頭を下げて謝る私を見て、中国人留学生の曹さんは不満げな表情を浮かべている。事の発端は曹さんが授業で使用するパソコンを忘れた事に起因するのだが、その指導に対して納得が行かないようで、仲裁する形で間に入った。

大学職員として、留学生に対応する仕事をしており、曹さんは私の対応に少なからず期待していたのだろう。受話器をおろした瞬間、「どうしてすぐに謝るのですか?」と、詰め寄って来た。想定外の質問に答えを探していると、「だから日本人の本音がわからない」と言われた事を覚えている。

私自身はどちらかというと、本音を言わないというよりは言いたい事を言わない方が良いと思っていた。張り合う事で、彼に後々不利益が生じるのではと感じたからだ。こう感じたのには幼少期の体験がそうさせていたのかもしれない。

小学校5年生の時、馴れ親しんだ町を両親の仕事の都合で離れた。この転校を機にいじめにあった。転校先の方言が話せなかった事がきっかけで、馬鹿にされたり、仲間外れにされた。行動は次第にエスカレートしていき、上履きを隠されたり、授業で作った美術の作品を壊されたりした。

今は何とも思わないが、当時は苦しくて、誰に相談していいのかわからず、笑って台風の目が過ぎる事を耐えるしかできないでいた。心の底ではいつか見返してやると思いながら、どこかで自分の居場所を探していたような気がする。

そんな私が見つけた居場所は「中国」だった。高校から次の進路を考える際、進学先として中国語を勉強する大学を選んだ。理由は推薦がもらえたというひどく単純な理由であった。案の定、不純な動機で入学した大学の講義は厳しかった。中国語の発音や声調を間違えると立たされ、正しい発音ができるまで座らせてもらえなかった。私は何度も立たされ、出来るまでその発音を繰り返した。

これまでの経験や授業中に何度も立たされた事から、すっかり自信を無くした私は、私の中国語が通用するのか大きな不安があった。しかし、初めて中国を訪れた際、私の不安は一蹴された。不安から小声で話す私に、周りの中国人は「北京語や上海語といった方言があって、みんな違うから少しくらい間違えてもいいから大きな声で話せ」と言ってくれたのだ。

間違える事は恥ずかしい事で、悪い事であり、相手にイジメるきっかけを与えてしまうと思い込んでいた私にとって、考えもしない言葉であった。しかし、結果的にこの言葉に救われた気がした。

以来、間違えても気にしないで、大きな声で話すうちに沢山の中国人の友達が出来た。日本とは違った寛容性が中国にはあり、もっと中国を知りたいという衝動から中国語の研鑽を重ね、いつしか全国規模の中国語カラオケ大会で、準優勝を果たす事が出来た。もう周りの目を気にしない自分がいた。

この時から「日本と中国の為になる仕事がしたい」と考えるようになった。それは中国語の先生や外交官と言ったすでに名前のある職業につくのでは無く、今はまだ誰も成しえていない職業であり、私の夢の形であった。その過程として、大学職員になり、中国人留学生をサポートする仕事に従事していたが、心の中では常にそこに挑みたいという気持ちがある。

不思議とこの胸に秘めた大望を諦めようと思った事はない。きっと私を受け入れてくれた中国の友人達の存在がそうさせているのだろう。曹さんと話した事で、これらの思い出が走馬灯の様に思い出された。

そして、ある言葉が思い浮んだ私は、彼に一言「韓信の股くぐりだよ」と言った。どの世界にも価値観が会う人もいれば、合わない人もいる。大きな志を遂げる為に、小さなプライドは捨てる必要があるのだと。苦笑いを浮かべる曹さんの目に熱い炎が宿っていた。

私はこれら名もなき交流の先に真の日中友好があると信じて、これからも物腰は柔らかく、志は高くこの時代を熱く生き抜きたい。

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