地元で感じる中国

2020-09-10 14:07:33

柴田 佳乃


新型コロナウイルス感染症において、デリバリーやテイクアウトで食事を済ませる人が増えた。都内の大学に通う私は、三月頃まで大学近くの飲食店でアルバイトをしていたが、家で過ごす時間をより有効にできるよう、自転車を使い地元の飲食店の料理を配達する、配達員として働くようになった。埼玉県の西川口は、私が幼少期から現在に至るまで過ごしてきた場所である。土地勘には自信があった。しかし、実際に地図を見てあちこち動き回ってみると、自分がいかに自宅と駅の往復しかしてこなかったかが分かる。行ったことがない場所や、行ったことがあっても雰囲気が昔の記憶とは異なる場所など、地元であるはずなのに知らない土地にいるかのような気持ちになってしまう。とても不思議だ。

このような経緯で西川口とより密接にかかわることになった私であったが、西川口で感じる「知らない土地にいるかのような気持ち」は、単に私が西川口という土地について詳しく知らなかったことだけに起因していない。近年、西川口では中国人の住民の方が増えている。これは、大学で地域研究を専攻する身としてある程度知っていた。しかし、配達員として働き始め、知識としてではなく経験としてそれを実感することとなった。具体的に言うと、飲食店の店員さんやお客さんに中国の方が多いことに加え、文字表記や流れる音楽、軒先のにおいや色づかい、道端の何気ない立ち話に、異国情緒が溢れているのである。私が感じた「知らない土地にいるかのような気持ち」は、「まるで中国にいるかのような気持ち」と置き換えることができると気付いた。

二年前の夏、大学の語学研修で北京を訪れた。中国語の勉強を始めたのは、大学一年生の始めで、まだ中国語を勉強し始めて半年にも満たないうちの渡航である。北京の街中では単語を伝えるのが精一杯で、かなりもどかしくはあったが、私はこの二週間でかけがえのない経験ができたと自信を持って言える。平日午前中は教室で授業を受け、午後は自由時間、土日の休日は全員で遠方の観光地を訪れるなどして二週間を過ごした。その中で私が特に感動を覚えたのは、最初の土曜日に訪れた、世界遺産「万里の長城」である。目の前に連なる石畳が、遠くに見える山頂においても雲の間にぼんやりと確認できるあの現実離れした景色を見たとき、歴史の荘厳さに息を飲んだのを、鮮明に覚えている。8月のうだるような暑さであったが、一段一段踏みしめながら階段を登り目にした景色は、今でも忘れない。一方、平日は地下鉄や徒歩を利用し近場を観光した。北京動物園では、おもいおもいにくつろぐパンダたちに癒され、円明園では美しい庭園と破壊の痕跡に胸を打たれた。街中の景色は、鮮やかな色があしらわれた看板や、逆に単調な色の建物、日本でも見かけるチェーン店や地元感のあるお店などが入り混じるなど、多様なもので構成されていた。いくら観察していても飽きず、好奇心が掻き立てられる高揚感があった。

今、西川口を自転車で巡る中で、北京の街中で感じた高揚感と似たものを感じる。視覚や聴覚、嗅覚でとらえられるものが、2年前に訪れた中国での経験を思い出させ、私を懐かしい気持ちにさせているのだ。私にとって中国は、思い出の場所であると同時に、今や生まれ育った場所に似ているという特別な場所である。

配達員として西川口の飲食店や住宅をめぐる中で、片言の日本語で応援の声をかけてもらうこともある。人としての温かさに触れることで、このまちが日本人にとっても中国人にとっても住みよい場所になってほしいと願う気持ちが強まった。私は今後も愚直に勉学に励み、日本人と中国人のより円滑な共生に貢献できるよう、努力していきたい。

関連文章