まだ見ぬ中国の友人のために

2020-09-10 14:07:33

髙橋 あや


私には中国人の友人が3人いる。彼らとはSNSをきっかけに、1年ほど前からやり取りを続けている。一人目は美術学校に通う女子学生。彼女は日本への留学を目指している。二人目はファッション好きな同い年の男子大学生。彼も日本へ留学予定だ。そして三人目はロシアの文化が好きな少女。たまにロシア料理の話をしてくれる。

友人と言っているが、彼らとはまだ直接会ったことは無い。というより、会えなくなってしまった。本当は、今年の春に私が中国旅行に行ったとき、そして彼らが日本に留学に来たときに会うはずだった。しかし、そう予定を立てていた矢先、新型コロナウイルスの流行が世界で勢いを増したため私の旅行はおじゃんになってしまった。私は勿論がっかりした。しかし留学が中止になってしまった彼らに比べたら私の旅行の中止はなんてことない。私は彼らを励ましたくて、中国語で色々なメッセージを送った。しかし、彼らはそんなに元気づけられていないように見えた。そして、その原因は私の中国語にある気がした。私は大学で中国語を習っているが、全く達者でない。だから、いつも辞書を切り貼りしたような紋切型のメッセージしか送れない。そんなものでは気持ちは伝わらないんだろうな、と不甲斐ない思いをいつもしていたのだが、中国語の学習に力を入れようとはあまり思えずにいた。

そんなある日、美術学校の女子学生から「あなたのSNSの投稿に元気づけられたよ」というメッセージと感想が送られて来たのだ。私はSNSで短歌を投稿している。勿論、日本語でだ。外国語を学ぶ者にとっては、外国語の普通の会話や文章でさえ理解できるようになるには非常に難しく努力がいる。しかし、彼女は短歌という日本独自の詩までをもよく理解して私に感想を送ってきてくれたのだ。その上、彼女が日本語で送ってくれた感想はとても温かみがあり、胸に刺さるものだった。そのメッセージを受け取った時、私は初めて「もっと中国語が上手くなりたい」と思うことができた。なぜなら、私も彼女たち3人が投稿する絵画、ファッションスナップ、料理などの投稿に度々感動することがあったにも関わらず「太好了くらいしか言えないのに、これでは自分の複雑な感動をどうせ伝えられない」と考え、感想を送ることを諦めていたからだ。この経験から、彼女のように自分も相手の作品に相手の母語で心からの感想を伝えられ、感動を共有できるようになりたいと思い始めた。

そして、私は現在少しずつではあるが、中国語の様々な表現を覚えようと工夫していることがある。例のファッション好きな男子大学生からは中国の若者らしい言葉を教わり、ロシア好きな少女からも私の言い回しが変だったりあまりにも古臭すぎたりするときは直してもらっているのだ。それでも私の中国語はまだまだお粗末だが、最近は「その言い方、ネイティブっぽいよ!」とメッセージを貰えたという嬉しい出来事も起こった。このように、私と彼らは互いに渡航できない中でも交流を続けている。中国語の勉強を頑張り、今年中に中国に行ければいいなんて考えていたが、中国どころか日本国内でさえ自由に動き回れずに窮屈な生活を強いられているのが現状だ。しかしそんなときでも、海の向こうで自分の趣味や思いを発信し生き生きしている仲間の存在により、自分も今の環境の中で出来ることをして楽しもうという明るい気持ちになれるのだ。いつになるかは分からないが、いつか彼らに直接、会えた喜びや今までの感謝を、なるべく自然に、そして豊かな表現で伝えられるよう、これからも中国語の勉強を続けていこうと思っている。

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