真心でつなげる人の和

2020-09-10 14:07:33

 

髙橋 杏里


「あげるなら自分の気に入っているものをあげなさい」これは私が小さい頃から両親に言われている言葉だ。小さい頃、母親にお土産を友達とわけなさいと言われた時、自分から選ぼうとすると叱られたことは苦い思い出である。これが我が家のおもてなしであり、真心である。しかし、そんな私だから感じることがある。常に人を思いやる優しさは、想像より行動に移しにくく、躊躇してしまうものだと。

中国を訪れた際、私は現地スタッフの女性と一緒にタクシーに乗った。互いの国の言葉がわからず、彼女とは英語でやり取りするしかなかった。その日、集合時間ぎりぎりに起きた私は朝ご飯を取る時間がなかった。彼女は朝早くからの仕事だったからか、社交辞令からか「朝ご飯食べた?」と私に尋ねてきた。私はとてもおなかがすいており「食べていない」と正直に答えた。少し恥ずかしくなって「食べようと思ったんだけど朝がギリギリで」と言おうとするより早く、彼女は私に抹茶のパウンドケーキを手渡した。私は嬉しかったが、彼女が食べようとしていたものだろうと思い「でもあなたの分でしょう」と言った。しかし、彼女は「もう一個あるから」と笑顔で答えてくれた。その笑顔のおかげで私は朝ご飯にありつけた。私は抹茶が大好きだからとても嬉しく、それを彼女に伝えた。すると「私も大好きなの、日本の抹茶」と答えた。同時に彼女は自分の大好きなものを躊躇せずに私にくれたのだ、とわかった。朝早くの仕事、彼女もおなかがすいていたに違いない。それでも彼女は私のことをまず気にかけてくれた。それは彼女の真心だった。そしてこの瞬間、小さい頃から言われている言葉を思い出した。「あげるなら自分の気に入っているものをあげなさい」そこには人に親切にすることはもちろんのこと、人に親切にするならば最後まで真心を尽くすべきだという意味が込められているように感じる。

帰国後、中国の女子留学生に中国語を教わる機会があり、そこで同じく中国からの男子留学生に出会った。彼の研究は私の専攻と通じており、日本でも研究をしたいと話していた。だが、他大学に通う初対面の彼に私ができることはあるのか、すべきことはあるのか不安と戸惑いが心にあった。その時、私は自分が中国で受けた親切を思い出した。彼女は損得や躊躇など見せずにただ私に真摯に向き合い、真心を尽くしてくれた。そのことを思い出した時、私は自分の目の前にいる彼の話を真摯に聞き、私ができることを尽くそうと心に決めた。彼は日本で自身の研究のために助言を求めるため、専門家を探していた。そこで私が知っている先生を紹介することにした。先生に直接連格を取って彼と繋げるために尽力した。先生と彼が無事に繋がること、研究が良い方向に進むことを願って。後日、その先生から「彼がとても真摯な学生で研究にも熱心でこの先も上手く進みそうだ」という話を伺った。本当に良かった、と心から思った。私がしたことはとても小さなことでしかないだろう。それでも私の生まれ育った国で、双方がつながるきっかけを作ることができたのは、あの時中国で受けた彼女の真心があったからだということに強く感動した。

現在、様々な国との関わりやグローバル化が進む中でも隣国の中国との関係は切り離すことができないが、周りには嫌悪感を抱いている人がいるように感じる。その嫌悪感は先入観を生み出し、私たちを盲目にさせる。目の前にある優しさも人の温かさにさえも気が付かなくなる。相手がどこの国の人か、言葉が通じるか、そういうことよりも関わる人、出会う人を大切にしたい。どんな些細なことも相手に真心を尽くせば、互いがつながるきっかけを生み出すことは出来る。常に人を思いやる優しさは、向き合えばきっと生まれるものだ。これからも中国で受けた相手を思いやる真心のこもった親切を、温かい「人の和」としてつなげていきたい。

関連文章