「おもてなし」と「热烈欢迎」
相澤 彩子
日本語の「おもてなし」が世界中に知れ渡ることになったのは2013年。東京五輪招致のためのスピーチで滝川クリステルさんが用いたことがきっかけだった。東京五輪開催予定だった2020年になり、中学3年生だった私も大学4年生に。時の経過を感じる。中学3年生だった私は、「おもてなし」は日本固有の文化であり、日本にしか存在しないものだと、このスピーチを見て感じた。あれほど世界を賑わわせるということは、世界はさぞ日本の「おもてなし」の心が大好きなのだろうと。世界には「おもてなし」の心はないのだろうと。
だが、歳を重ねるにつれて、「おもてなし」は確かに日本を代表する表現の一つだと思う反面、世界各国において「おもてなし」が存在しない、ということではないことに気が付くことができた。
そのように強く感じるようになったのは、30人という大所帯で中国を訪れ、ホームステイをしたことがきっかけだ。各地を訪問するたびに「热烈欢迎」と書かれた旗を持って出迎えてくれて、「欢迎大家来北京!」と歌や踊り、ショーを通して、また、最高級の白酒で干杯することによって盛大に歓迎してくれた。「热烈欢迎」という言葉、日本語では聞きなじみがないものだが、私はこれが中国流の「おもてなし」の文化だと言えると感じた。
日本流の「おもてなし」は静かに上品に客人のために何かをする、というイメージがある。だが、「热烈欢迎」は燃えるように熱く、賑やかに、ふるまう方も楽しみながら客人のために何かをする、という感じだろうか。その熱気たるや凄まじい、日本人はびっくりして一歩後ずさってしまうほどだ。
「热烈欢迎」は歓迎会の場だけでなく、日本人参加者が各家庭にホームステイをしに行った際にも感じられた。私は中国語をまだ勉強中で、会話が成立するほどは話せない。そのことを知ってか知らずか、ホストファミリーはわざわざ日本語の話せる職場の方を招き、通訳として共に時間を過ごした。また、当初のスケジュールにはなかった場所にも行ってみたいと話したところ、片道2時間も車を運転して連れて行ってくれた。別れ際にはスーツケースに入りきらないほどのお土産を手渡してくれ、必ずまた再会しようと誓いあった。他の参加者のホームステイの話を聞いても、各家庭大変な「热烈欢迎」を受けたことがよく伝わってきた。たった1泊2日のホームステイだったが、こんなにも熱く歓迎され、自分が日本でホストをやるとして、こんなに熱い「おもてなし」ができるだろうかと疑問に思ったほどだ。
日本人の中国人に対するイメージはどんなだろうか。声が大きくてうるさくてマナーがなってなくて爆買いをする、といったところだろう。訪中前は、きっとそんなイメージはメディアの中だけで、実際に訪れてみて現地の人と話す中で変わってくるだろうと思っていた。だが、良くも悪くもそれらのイメージは大きくは変わらなかった。メディアは間違っている、とは言えなくなった。日本人とは違う文化、感覚を持っているのだから当然である。日本人にとっての間違いは、彼らにとっての大正解なのだから。元々抱いていたイメージと現実に大きな乖離はなかったかもしれないが、新たな様々なイメージが足されたのは確かだ。「热烈欢迎」の心は間違いなくその一つである。日本の「おもてなし」≠中国の「热烈欢迎」ではあるが、ともに客人のためを思って何かをするという共通点はある。日本人の大事にする静かな心も大好きだが、中国人の熱い思いにも魅了された。
日本人とは違うからと言って「おもてなし」が存在しないのではない。「おもてなし」の気持ちは各国様々なのである、ということに気が付かせてくれた中国人とのかかわり。中国の方を日本でもてなすことが今後あったら、「おもてなし」×「热烈欢迎」、の心で臨みたいと思う。