王くん事件から学んだ「共生」

2020-09-10 14:07:29

 

大門 紗也


小学校六年生の夏休み明け、中国から王くんという一人のクラスメートが編入してきた。学校生活の中で、王くんの日本語能力は高くはないものの、体格が大きいためドッヂボールが強く、ピアノの実力は六年生の中では一番なことがわかった。また、クラスには韓国やフィリピンにルーツをもつ子もいて、多様性にあふれていた。

そんな中、事件が起きた。廊下掃除をしていた時、教室から先生の怒鳴り声が聞こえたのである。「ここは日本や、中国と違うねん」。「中国」という言葉で、怒られているのは王くんだとすぐにわかった。廊下から教室を覗いていた友達に話を聞くと、王くんは床を雑巾で拭くときに、足を使っていたそうだ。それを注意した先生に対して、「中国ではこうするの」と王くんが言ったところ、先生が怒ったという流れである。私は先生の発言にショックを受けた。先生の発言が中国を嫌っているように聞こえたからである。中国でもそのような拭き方はしないと誰でもわかる。「ウソはダメ」と言わずに怒鳴る先生が怖いと思った。一方で、王くんに対して疑問も持った。なぜ王くんは「日本」に合わせず「中国」を主張するのだろう。当時は「中国人だから」という理由にして、考えるのをやめた。

それから時間が過ぎた、大学二年の秋、私はゼミ選択期限が迫っていた。入りたいゼミが無く悩んでいた時に、王くんの事件を思い出した。あの時怒られた王くんは、先生に対してどのように感じたのだろうか。日本には王くんと同じ境遇の子どもたちがいるはずだ。そう思い、私は在日外国人をテーマとして扱うゼミに所属することを決めた。

ゼミでは在日外国人の子どもについて勉強している。知らないことばかりだった。例えば、在日外国人の学校選びがある。彼らの学校選びは、日本の学校か外国人学校かの二つである。日本の学校は公立学校だと授業料が安いものの、日本語支援などの学習支援体制が整っていない。一方外国人学校は、自国のルーツを尊重した教育だが、授業料が高い。このように、外国にルーツを持つ親と子どもにとって、学校選びは究極の選択となりやすい。

このような事例を複数学んだことで、私は王くんが「中国ではこうするの」と言った理由がわかった気がする。彼は学校内での行動を日本式に強制されることで、アイデンティティを失うと考えたのではないだろうか。彼にとって、彼自身を作ってきたのは中国である。日本式行動をすることで、それまでの自分自身を否定することになると恐れたのだろう。

日本には中国人以外にも、たくさんの外国人が住んでいる。日本人である私たちにとって、彼らが日本社会に合わせることは当然だと考えている。そこには、社会のルールを守るだけではなく、日本語を話し、日本人としてのアイデンティティを持つことも当然の中に含まれている。しかし、外国人には「母国」というルーツがあり、日本人はそれを忘れがちである。

王くんを通じて、私は様々なことを学び、日本社会の新しい一面を知ることができた。在日外国人について考えることは、これからの日本社会について考えることである。これからも一生暮らしていく日本が、外国人への差別や偏見、それに伴う憎悪であふれる社会であってほしくない。「住む国を日本に選んでよかった」そう思ってもらえる行動をしていきたい。

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