「ブカン」と「フクシマ」

2020-09-10 14:07:11

佐藤 樹

 

私が中国に興味を持ったきっかけは、多くの中国好きがそうであるように、三国志である。これまで吉川英治氏の小説から始まり、関連図書を随分と読みあさってきた。その過程で他の中国古典にも興味を持ち、今も節操なくあれこれと手を伸ばし続けている。このような経歴からすれば、書籍の舞台である中国という国に興味を持ち、実際に自分の目で見てみたいと思うことは自然なことであった。

そして今年の夏、友人が中国の大学の修士課程に進学することもあり、ついに十数年来の希望を叶える予定だったのだが、残念ながら白紙に戻ってしまった。理由は言わずもがな、COVID-19の流行である。

武漢という名前をニュースで耳にした時、最初に思い浮かんだのは当然、黄鶴楼である。中国古典好きとしては、何度も焼失や倒壊と再建を繰り返し、孫権の時代から様々な書籍に登場するこの武漢のシンボルを知らないはずがなかった。そもそも武漢の属する湖北省は、三国志の舞台となった名所が多数存在する三国志好き垂涎の地域であり、私は武漢や湖北省に対して良い印象しか持っていなかった。この印象はCOVID-19の流行があった今でも変わっておらず、それだけに日本で「武漢ウイルス」などといった言葉が見られるようになったとき、私はひどく残念な気持ちになった。ウイルスというマイナスのイメージが、武漢という地名に完全に結びつけられてしまうという懸念もそうだが、それ以上に「ブカン」という言葉が日本で蔑称のように扱われることが悲しかったのだ。

思えば、似たようなことは以前から対象を変えながら行われてきた。最も記憶に残っているものは東日本大震災の時の「フクシマ」という言葉の扱いだ。当時は原子力発電所の事故や放射線の被害を揶揄して、「フクシマ」という言葉に悪意が乗せられることが国内外を問わず多々あり、中国ネットでもかなり使用されていた。当時栃木県に住んでいたこともあり、近県である福島県のことを私は身近に感じていて、それだけに「フクシマ」が世界中で蔑称として用いられていたことに対して、とても悲しい気持ちになったことを強く覚えている。

「ブカン」と「フクシマ」経緯は違えども、行われていることも、私が抱いた感情も、全く同じであった。

相手を知ろうとせず、理解せず、自分は関係ないと行動し、あるいは悪意を持って相手に接すれば、何度でも歴史は繰り返し、いつしか自分に返ってくる。今回のCOVID-19の流行は、日本と中国の間で立場を入れ替えさせて、私たちにそれを証明してみせた。

国も話す言葉も違えども、相手は同じ人間であり、同じように自分の故郷を愛している。だからこそ自分の故郷を貶されれば悲しくなり、褒められれば当然嬉しくなる。国家同士の立場や関係にとらわれると、私たちはしばしば、こういう基本的なことすら忘れてしまう。

しかしこれはある意味ではチャンスなのかもしれない。お互いが被害者と加害者を経験し、相手から心ない仕打ちを受けることの辛さ、悲しさを経験した今だからこそ、分かり合えるものがあるはずだ。

私たちは一人一人背景も価値観も違う。同じ日本人でもそうなのだから、国を跨げばその違いが大きくなるのも不思議ではない。だから、いきなり相手を完全に理解するべきだとは言わない。まずは相手についてよく知るところから始めていくべきだ。例えば私のように、魅力的な中国古典から知っていくのも1つの手だろう。きっと中国に対する見方が変わることと思うし、教養も身につくし、何より私自身も同好の士が増えて嬉しい。まさにいいことずくめだ。

残念なことに今の日本では、中国に対して良い印象を持つ人が少ないのが現実だ。しかしながら中国に対して「印象がよくない」と答える人が多いことは、これからの両国の関係にとって希望であるとすら私は思う。好意の反対は無関心であり、嫌悪は意外なことで好意に変わったりするものなのだから。

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