あの日の唄-未来へ-

2020-12-17 09:34:47

山本 佳代

 

初めて中国を訪れた時、Kiroroの『未来へ』が原曲のまま流れてきて、驚いた事を覚えている。この曲が中国語でカバーされていた事は知っていたが、まさか日本語のまま天津市内のスーパーで耳にするとは思わなかったからだ。

多くの日本文化に興味関心を持ち、積極的に取り入れる中国人を凄いと感じたし、日本の文化が広く一般の人々まで浸透している事が嬉しかったし、誇らしかった。

この出来事を日本に帰って、友人に話すと意外な反応が帰って来た。「パクリでしょ」という、心ない言葉が帰って来た。著作権の問題があるのかもしれないが、私の反応と大きくかけ離れたものであり、ショックを受けた。良いものは良いものとして、互いに認め合う事ができたらどんなに良いものか。

日本でも中華料理をはじめとして、中国文化は広く一般に浸透している。しかし、伝統的な文化に対して、現代的な中国カルチャーはメイドインチャイナ=粗悪製品といったイメージからか、好意的な印象は少ないように感じる。少なくとも日本の街で、中国のカルチャーに触れる事はないだろうとこの時思った。

それから10年近くの月日が流れた。グローバル化が進み、劇的な経済発展を遂げた中国の影響力が世界的に強まっているように感じる。この間、私自身も結婚し、子供が生まれて母親になる等、大きな変化があった。

時代のうねるような変化の中、訪日中国人観光客の増加やSNSの発展もあり、気軽に中国の友人と連絡が取れるようになった。どこか近くて遠い国と感じていた、中国をより一層身近に感じられるようになった。ただ、身近になればなるほど摩擦が増えるのか、アンチ中国という人の増加も感じている。

中国に対して、理解と警戒が進むような状況下で「新型コロナウィルス」が発生し、被害が拡大していった。春節休みを利用して、名古屋に遊びに来てくれた友人がウィルスの影響で急遽帰国した事で、事態の深刻さを知ると共に、「何かできないか」という思いが胸に宿った。

家族と相談して、マスクを買い集めて、中国に送る事を考えついた。1月下旬にはすでにマスクの購入制限があり、幼い娘を連れて、近くのスーパーや薬局、コンビニ約30軒を周りマスクを買い集めた。
 
こうした「想い」は私達だけのものでなく、日本全国から「武漢加油」の声が上がった。大阪の道頓堀では、簡体字の応援垂れ幕が掲げられ、マスクなどの物資が次々に中国に送られる等、支援の輪が広がっていった。

これまでの災害支援等は政府主体で救援隊の派遣や支援金等の活動が中心であったが、今回は個人や地方自治体、民間団体がそれぞれ、支援を打ち出した事が印象に残った。また、中国からの日本の支援も同様で、日中の絆を確認する機会となったし、純粋に同じ事を思い行動に移してくれた人が沢山いた事が嬉しかった。

ここ数年で中国製スマートフォンが流通・普及したり、アリペイやWeChatペイが日本中のコンビニで使えるようになるなど、中国の最新カルチャーが日本に入って来た。中国で定着したキャッシュレス決済は日本でも普及が進みつつある。

10年前には考えられなかった世界が今、眼下に広がっている。今度は日本が中国の優れた最新技術や文化を積極的に取り入れていくべきだと考えている。そして、日本と中国は協力して新たな価値観を創出し、両国から世界に向けて新しい文化を発信していけたらと思う。

いつの時代も時計の針は前にしか進まない。「未来へ」向けて、日中が共に歩む事で、コロナウィルスも必ず乗り越えられると思う。また、今回支え合った絆が私たちの世代から子供達の世代へと受け継がれ育まれ、友好の輪が更に大きくなると信じている。

こんな事を考え、思い描きながら、今はまだ難しいかもしれないが、中国の友人達との再会を心待ちにしている。あの日、中国で聞いた日本の歌を口ずさみながら。

 

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