潮汕地区と日本の不思議な縁

2021-04-24 11:28:20

 汕頭大学長江新聞輿伝播学院教授 加藤隆則= 凌学敏=写真

3月27日、北京の日本大使館でコロナ下の国際交流を探求するイベント「こんにちはサロン」が行われた。私はスピーカーの一人として、今暮らしている潮汕地区と日本との不思議な縁について話したが、思わぬ大きな反響があったので、改めてその内容を紹介したい。    

 

「こんにちはサロン」で話をする筆者()     

広東省の汕頭大学に来て5年になる。日本人の年配者は「スワトウ刺繍」の名を聞いたことがあるかも知れないが、一般的には馴染みの薄い場所である。目を引く観光名所があるわけでもなく、他地域の中国人にとっても町の姿をイメージしにくい。ただ近年、「潮汕牛肉火鍋」や「潮汕砂鍋粥」などのご当地グルメが大ヒットし、「潮汕」の名がしばしば聞かれるようになった。

潮汕とは、広東省東部に位置する潮州市と汕頭市、さらには近接する掲陽市、汕尾市を含めた地域で、方言の潮汕語や多くの民俗風習を共有している。北京から2000キロ、東京から2600キロのこの地で、日本との共通点に出くわすとは、予想だにしなかった。

赴任2年目、私が担当する全校対象科目「日中文化コミュニケーション」で、地元出身の英語学科学生が『潮汕語の中の古文』と題する研究発表をした。共通語の声調は四通りだが、潮汕語には八声ある。広東語とは異なり、中国七大方言のうちの一つ、福建の閩南語系に属する。

中原から南方に流れ着いた人々の一部は福建に定住し、その後、そこから潮汕に移り住む者たちが出た。だから文化的には福建との共通点が多い。しかも潮汕語を調べれば、古代中国語の痕跡を見出すことができる、というのが彼女の研究だ。中国古代研究で知られる郭沫若も、「潮汕語は中国の古語を最も多くとどめる方言である」と述べたことが知られている。

同様の研究は多くあるが、彼女は第二外国語で日本語を学んでいて、潮汕語と日本語の発音上の類似点を指摘した点でユニークだった。彼女が挙げた事例の一部は、以下の通りだ。

料理(ryouri

独身(dokushin

準備(jumbi

友人(yuujin

新聞社(simbunsha

運動(undou

自由(jiyuu

先生(sensei

・・・・・・ 

「こんにちはサロン」でも、ボランティアとして参加した汕頭出身の教え子と、日本語を学ぶ来場者の学生がそれぞれ潮汕語、日本語で同じ言葉を発音してみたが、一語一語にみなが「オー」と声を上げるほど、確かにそっくりだった。これは単なる偶然ではない。潮汕語や広東語など南方の方言は古代中国語の発音をとどめている。一方、日本語の音読みも、南北朝時代の呉音や隋唐時代の漢音と呼ばれる中国古代の音に由来する。元をたどれば歴史的な背景があるということになる。

類似点はほかにもある。現代中国標準語で「走」は「歩く」の意味だが、潮汕語では日本語と同じ「走る」の意味を残している。標準語では「米を煮る」だが、潮汕語では日本語と同じく「米を炊く」との言い方が残っている。日本語の「新郎新婦」は中国語では「新郎新娘」だが、潮汕語では嫁をいまだに「新婦」と呼ぶ。深く調べれば、もっと見つかるに違いない。

文化は伝播した辺境の地において、しばしば原型をとどめる。山や海に囲まれ、外部との交通が遮断されていれば、原型の濃度はそれだけ高まる。一方、文化の中心はひっきりなしに人々が出入りし、異文化の影響を受けるので、絶えず変化を強いられる。

柳田国男が『蝸牛考』で説いた方言周圏論が思い起こされる。柳田国男は、京都を中心に、蝸牛=カタツムリの名称がデデムシ、マイマイと同心円状ごとに共通し、しかも、呼び方が中心より離れているほど古いことを発見した。つまり中心から周辺に伝播し、外縁にこそ古い原型が残っているのである。潮汕語と日本語の発音の酷似は、まさにこの説を裏書きするものだ。

中国古代の漢字の発音が、一つは山を越えて南方に行き止まり、一つは海を隔てて島国に流れ着き、その二つが数千年を経て出会った、と考えればワクワクしてくる。大学の教室で、こうした驚きを感じられるのは、得難い経験である。

驚きはこれにとどまらない。「こんにちはサロン」では、私のスピーチの関連行事として、別会場を設け、潮汕文化写真展『異中求同』を開いた。汕頭大学新聞学院で写真技術を教える凌学敏先生が10年間、地元で正月の祭祀活動を撮影し続けた作品計60点を並べたものだ。

凌先生の父親の故郷は汕頭で、彼自身、この地に思い入れが深い。彼は東京で写真を学び、日本の祭りもたくさん撮影した経験があるが、潮汕地区で伝統的な祭りを見ながら、日本と似ていることに気付いた。ある日、私は彼からそのことを聞き、強い関心を持った。

 

汕頭市澄海区塩竈の「拖神」

 

汕頭市澄海渓南鎮南砂郷の「遊神」

例えば、汕頭市澄海区塩竈の「拖神」と東京浅草の三社祭は、男たちが神輿を担いで練り歩く姿がそっくりだし、澄海渓南鎮南砂郷の「遊神」に登場する鯉は日本の子どもの日の鯉のぼりにも通じる。普寧平林の「奪地豆」と日本の節分の豆まきは、前者が落花生、後者が大豆の違いはあるものの、厄除けの効能を持つ豆によって無病息災を祈念する点で同じだ。正月の「七草粥」にいたっては、名称も共通している。

 

汕頭市普寧平林の「奪地豆」

この方面の研究はまだ少ないが、中国の地方文化と日本の伝統文化との比較研究は、日中の文化交流に新たな光を当てるに違いない。潮汕地区で暮らすことになった縁を大切にし、多くの仲間と一緒に、さらに研究を深めたいと思う。「こんにちはサロン」はその意味でも、大きな力を与えてくれた。

 

 

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