老兵・砂原恵さんにささげる最敬礼
王衆一=文
砂原さんと物語の詳細について話し合う漫画『血と心』の企画者である筆者(中央)と漫画家・李昀さん(左)(写真・王焱/人民中国)
もし新型コロナウイルスによるパンデミックがなければ、昨年の4月に東京で予定されていた漫画『血と心』日本語版の出版発表会に出る予定で、その時に砂原恵さんと再会できたはずでした。しかし、猛威を振るう感染症のせいで出版発表会は中止せざるを得なかったのです。今年の4月に、動画サイト「ビリビリ」と提携したアニメ版『血と心』制作のために、直接日本へ行けない取材班の代わりに、本誌の東京支局スタッフに藤沢に行ってもらって、3時間にわたって砂原さんの動画を撮影してもらいました。動画の中の、やや疲れたようではありましたが、元気そうな笑顔を見て一安心しました。ワクチンの普及で多分、アニメが出来上がった頃に、砂原さんを北京に迎えて再会できると思っていましたが、たった2カ月後の6月24日、砂原さんが急逝したという青天のへきれきのような訃報に接しました。悲しみと悔しさが胸に湧いて、思わず涙がこぼれてしまいました。少し落ち着いたら砂原さんと付き合った日々が目の前に浮かんで来ました。
PFS(中国国際友人研究会)の田濤さんの紹介で砂原さんと出会ったのは2017年のことです。一見何も変わったところがない、普通の日本人のお年寄りでしたが、非常に底力のある低い声で、ネイティブな東北方言交じりの中国語をしゃべり出しました。また、携帯電話の着信音が鳴ると、なんと『人民解放軍行進曲』のメロディー! この方は一体何者だ、どのような人生の持ち主かと強烈な興味を持ち始めました。
その波乱な人生を聞いて、それまでの興味が取材の衝動に変わりました。綿密な準備を経てようやく砂原さんの宿泊先のホテルで取材を実現しました。同行した本誌編集者は、それを4ページの記事に構成しましたが、それだけではなかなか気持ちが収まりませんでした。
そこで長年『人民中国』の誌面を飾る漫画やイラストを執筆してきた漫画家の李昀さんと相談しました。砂原さんの話を聞いて李昀さんも興味と共感を示しました。世代のギャップを乗り越える砂原さんの話は、やはり今の若い世代にも読んでもらった方がいいと思って、早速、プロジェクトの企画を立てて、李昀さんにオールカラーの長編漫画を執筆してもらうことになりました。度重なる深い取材を経て、砂原さんの人生像がようやく立体的に浮き上がりました。李昀さんのワークチームの努力によって、それが立派に漫画化され、生き生きとした砂原恵像が彫り上がりました。
もともと関東軍の兵隊に憧れていた砂原少年は、現実の帝国軍人の残忍さや敗戦後の流転によって、軍人に幻滅し、中国人地主の下で働く牛飼いになりました。解放軍による土地改革で運命が変わり、抑圧と搾取から解放され、公平、平等、正義に憧れる砂原少年は、革命軍人の夢に燃え、自ら時代の流れに身を投じて、一生変わらない価値観を貫いて、人民に奉仕する誓いを実践してきました。これはおとぎ話ではなく、実在の人物による本当の話です。本来、偏狭な民族主義の考えを持っていた砂原さんは、それよりもっと上位の普遍的な価値観に心を奪われ、低級な思想から抜け出して純粋な一人前の国際主義者に成長したわけです。私は頭を絞った結果、『血と心』というタイトルを思いつきました。
2019年、中華人民共和国成立70周年に合わせて、漫画『血と心』の中国語版書籍が新星出版社によって出版されました。その翌年の4月に、本来の首脳訪日に合わせて、東方書店による日本語版も東京で発行されました。また今年、中国共産党創立100周年を記念して、アニメ版『血と心』も制作中です。
アニメの完成を目にすることができずに砂原さんが急逝したのは、非常に残念なことです。でも、慰めになったのは、砂原さんが晚年に『人民中国』の取材を受け、さらに、その話が漫画化・アニメ化されて、より多くの若い世代に読まれ、覚えられていくだろうということです。
なかなか眠れない夜に、しとしと降り続く雨の音を聞きながら、写真に写っている砂原さんの笑顔を眺めて、胸に熱いものが湧きました。ぼやけた視線が一枚の写真に留まりました。それはおととし、北京市人民対外友好協会で行われた漫画『血と心』の出版記念会の会場で撮ったものでした。砂原さんが、15年の世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会の時に北京でもらった記念メダルと、19年に駐日本中国大使館で孔鉉佑大使からもらった中華人民共和国成立70周年記念メダルを胸の前に飾って、出席者の前に現れた瞬間です。その二つのメダルが砂原さんにとってどんな意味を持っているか、私は分かっています。もしかしたら、それは彼にとって人生の意味の全てだったのかもしれません。彼は自分の青春を理想に燃えていた新中国にささげ、1950年代に帰国した後、一衣帯水の海を隔てた血の祖国に戻って、心の祖国に思いを寄せて、その初心を自分の職場や暮らしで貫き、二つの祖国の友好に尽力してきました。北京に来て一緒に会食をするたびに、砂原さんは必ず「酸菜餃子(白菜の漬物入りギョーザ)」を注文しました。それは、土地改革の時に解放軍の招待で初めて味わったおいしい食べ物です。多分、懐かしいギョーザの味を喚起することによって、自分の悔いのない人生を再確認していたのでしょう。
砂原さんを記念する一番良い方法は、その伝奇的な人生を不滅の作品にして語り継いでいくことです。その意味で、アニメ『血と心』を一日も早く世に問うことは、砂原さんへの最良の記念になるでしょう。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。砂原さんの魂は必ず天国で、血の祖国と心の祖国を眺めながら、両国の若い世代のこれからを見守っていくでしょう。20世紀の物語を21世紀の私たちがどうやって語り継いでいくか、それは時代の岐路に立つ私たちに砂原さんが残してくれた宿題です。若い世代は若い世代なりの知恵でその宿題をやり遂げるでしょう。どうか砂原さん、安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りします。