老兵逝けど記憶は永遠に

2021-08-19 13:50:55

王焱=文

王浩=写真

 

本誌で連載している漫画『血と心』の主人公のモデルとなった砂原恵さんが6月24日に亡くなった。享年89歳。7月14日、中国国際友人研究会と本誌は北京で砂原さんの追悼式を開き、砂原さんの友人や関係者10人が悲しみを抱えながら出席し、本誌東京支局もオンライン形式で参加した。出席者は砂原さんという老兵の数奇な人生をしのび、それぞれの思いを分かち合い、砂原さんの精神を評価し、この物語と感動を後世にどう伝えていくのかを話し合った。

 

「中国に来ないと調子が出ない」

追悼式では砂原さんの遺影に献花し、『我和我的祖国』(私とわが祖国)の曲を流し、モニターに思い出深い映像の数々を映した。

一同起立し、砂原さんに1分間の黙祷をささげた。式の司会者である中国国際友人研究会の田濤副秘書長は、砂原さんの一生を振り返る中、次のような思い出を語った。「4月に電話でお話をした時、『中国に行きたくてたまりません』とおっしゃったその声はとても力強かったです。『新型コロナが収束したらきっとお招きします』と言いましたが、まさかそれが最後の会話になるとは」と言葉を詰まらせた。

 

田濤さん

同研究会の顧品鍔副会長は砂原さんの遺影を見つめ、涙をにじませた。「初めてお会いした時、砂原さんは『中国にかける思いで、私以上の人間は日本にいません』とおっしゃいました。砂原さんは親友です。もう私たちの前から去ってしまったとは思えません。今日もこの場所にいるようです」

 

顧品鍔さん

砂原さんは以前、航空学校で働いていた。東北老航校研究会の常砢会長はこう語った。「砂原さんは数カ月ごとに中国を訪れ、そのたびに私たちは会食し、私も日本に行った時は砂原さんと会いました。盛り上がってくると解放軍の軍歌を熱唱しました。3、4月頃に電話した際、中国に行くことを強く望んでおられました。こんなに突然亡くなるとは」

 

常砢さん

東北老航校の設立に携わった元中国人民解放軍副総参謀長の伍修権氏の娘・伍連連さんは、当時の同校に所属していた日本人の仕事と生活を説明し、思い出の中の砂原さんを語った。「砂原さんは中国にとても深い思いを抱いていて、2、3カ月に1回中国に来ないと調子が出ないとおっしゃっていました。砂原さんの娘さんは父親の落ち着かない様子を見ると、中国に行きたがっているんだなと察して飛行機のチケットを取ったそうです」

 

伍連連さん

本誌の王衆一総編集長は、2017年に初めて砂原さんを取材した時のことを語り、その際に砂原さんがおえつを漏らした場面について触れた。「母親の話になると砂原さんはくちびるを震わせ、しばらく黙り込みました。母親が亡くなった時、砂原さんは朝鮮戦争の真っただ中にいたため、母親のそばで最後の孝行ができなかったことが、心の中でずっとぬぐい去れない良心の呵責と後悔になっていたのでしょう」

 

王衆一総編集長

本誌東京支局の于文支局長は、4月に砂原さん宅に取材に行った時のことを東京から語った。「ドアを開けるなり、砂原さんが開口一番、『元旦に送ってもらったギョーザは中国の味がした、ありがとう』とほめてくれました」。新型コロナウイルス感染症が流行するまで、砂原さんは中国に行くたびにかつての仲間たちと本場中国東北地方のギョーザを食べて、望郷の念を解消していたのである。

 

式で出席者がそれぞれの思い出を語った

 

日本は母国 中国はふるさと

中央広播電視総台記者の王小燕さんは、日本の友人から聞いた砂原さんの臨終の瞬間を語った。「砂原さんがいまわの際にうわ言のようにつぶやいた言葉は、そばにいた家族や医療関係者には聞き取れない中国語だったそうです。それを聞いて涙があふれてきました。砂原さんは最期まで、心のふるさとである中国のことを気に掛けていたんですから」

 

王小燕さん

王さんの話は中華日本学会の高洪会長の琴線に触れ、砂原さんのような多言語話者が人生の最期に残した言葉に、高会長は独自の解釈をした。「砂原さんが何をおっしゃったか知るすべはないが、臨終のうわ言というのはその人が一番会いたかった人の話す言語を使うと思う。人生の終わり、砂原さんはかつて肩を並べて共に戦った中国人の戦友たちに会いたかったに違いない」

 

高洪さん

砂原さんは中国人民の解放事業と社会主義建設に貢献した。田副秘書長は砂原さんの一生を振り返った。少年時代の砂原さんは日本の敗戦後に中国を流浪し、東北で地主の牛飼いとして働かされ、搾取階級とは何か身をもって知った。住んでいた村に解放軍が訪れると、土地改革で砂原さんの家は雇われ農家として土地が分配され、15歳になると張栄清という名前で東北人民解放軍に加入し、解放軍戦士として何度も手柄を立てた。朝鮮戦争の戦火が鴨緑江まで及んだ頃、砂原さんは中国人民志願軍に入り、鴨緑江を渡って米国と戦い朝鮮を支援した。その後、中日両国の赤十字会による中国残留邦人の共同捜索で砂原さんの正体が明らかになり、前線から呼び戻された。解放軍部隊は一刻も早く砂原さんが日本語を思い出し、日本帰国後の生活に慣れることができるよう、航空学校で日本人飛行教官を補佐する仕事を手配した。その後、日本に帰国した砂原さんは1955年から日本国際貿易促進協会の対中貿易業務に就き、北京や武漢などで日本商品展覧会を開催した。67年に日中友好貿易に従事する新新貿易株式会社を設立し、中日の友好交流と貿易を促進する業務に携わった。90年代末に砂原さんは自身の仲介で、やまう株式会社の漬物の製造技術を中国に導入し、中国側と合弁して工場を設立した。20年間、売上は上がる一方だったが、砂原さんが配当金を求めることはなかった。

古くからの友人たちは、砂原さんの日本での生活がそれほど裕福ではないことを知っていた。「娘と2人で60~70平方㍍の家に住んでいましたが、その家を売って市内からもっと遠くもっと小さな家に引っ越しました」と常会長は語る。

于支局長は砂原さんの葬儀に参列した唯一の中国人だ。当時の様子をこう説明する。「始まった時は日本の普通の葬式だと思いましたが、流れている音楽が『三大紀律八項注意』などの革命歌だと不意に気付きました。砂原さんが生前愛した歌だったのでしょう。こういう音楽を流したのは、砂原さんの強い要望だったと聞きました」

王総編集長はこう話した。「砂原さんの体に秘められた極めて純粋な精神に心を打たれました。旧社会の最下層にいた被抑圧者という立場から、大きな時代のうねりの中で運命を変え、人民の軍隊に加入した砂原さんには日本人の血が流れていましたが、中国を自分の心のふるさととして見ていました。砂原さんにとって、日本は母国で、中国は祖国でした。情熱を燃やした歳月で鍛え上げられた精神はすでに砂原さんの魂と一体化しました。砂原さんの物語は、私たちに中国革命の本当の原点と初心を考えさせてくれます」

 

形を変えて受け継がれる物語

2019年、本誌と新星出版社は砂原さんの数奇な物語を基にしたノンフィクション漫画『血と心』を共同出版した。昨年、東方書店はその日本語版を日本で出版した。また、動画配信サイトの「ビリビリ動画」も同漫画を原作とする全12話のアニメを制作し、今年配信予定だ。

王総編集長は、記事として取り上げてから映像作品になるまでの企画や働き掛けについて、次のように説明した。「3年間、取材記事から始まり、1冊の漫画となって、さらに全12話のアニメとなる中、たくさんの友人たちが関わり、創作の過程で心血を注ぎました。砂原さんの急逝には心が痛みますが、幸いなことに、私たちは手遅れになる前にこの歴史的な遺産を発見するとともに急いで発掘し、代々受け継ぐ価値のある作品を打ち出しました。砂原さんは帰らぬ人となりましたが、その精神は永遠に生き続けていくでしょう」

 

漫画『血と心』日本語版の表紙

漫画『血と心』の作者の李昀さんは、砂原さんを主人公のモデルとした漫画を創作する機会に恵まれ、光栄に思うと語る。「砂原さんの身に起こったアイデンティティーの衝突に最も心が動かされました。それに、現代の若者も共感できると思ったことも、執筆のきっかけです。優れた物語は年齢や国籍などを問わずあらゆる人に喜ばれるでしょう。より多くの人がこのような題材で作品を創作すればいいですね」

 

李昀さん

新星出版社の副総編集長で漫画『血と心』の出版責任者の孫志鵬さんは同漫画の中日両国での出版を後押しした経緯を語った。「砂原さんが中日友好に貢献した数々の物語は非常に心に響きます。出版までの一番の悩みはタイトルでした。スタッフチームが頭をひねっていたところに王衆一総編集長から、『血と心』にしたらどうだというアドバイスをいただいて、目の前が明るくなりました。日本では『血と骨』や『禅と骨』などの血縁と関係するアイデンティティーをテーマにした映画があります。『血と心』は血縁のアイデンティティーを超越し、精神面のアイデンティティーという命題を提起していることがこの不思議な物語の最大の見所といえるでしょう」

 

孫志鵬さん

ビリビリの朱承銘広報部部長は同漫画のアニメ化プロジェクトの立ち上げのきっかけについてこう語った。「先に漫画を読んだ10歳の息子がとても感動したと言ったんです。そこで興味を持った私も読んでみると、一気に読み終わって、とても心打たれ、アニメ化する価値が十分あると思いました。当社のアニメ部門も私と同意見でした。昨年11月に予告編が公開されると、今までにないほどの注目を集めました。今年10月に正式配信の予定ですが、砂原さんがその盛り上がりを見られなくなったと思うとたいへん残念です」

 

朱承銘さん

高会長はかつて『血と心』の書評を書き、今はアニメ制作の顧問を務めている。「漫画化からアニメ化まで、世代が異なる人々が心を一つにして力を合わせた原動力はどこから来たのでしょうか。それは砂原さんご本人の精神に感化されたことによるものだと思います」

 

アニメ『血と心』PVのワンシーン(提供・ビリビリ)

于支局長は日本語版『血と心』の出版元である東方書店の山田真史社長が寄せた追悼文を代読した。その一文はこの追悼式を締めくくるにふさわしい言葉だった。

「戦争の時代は遠くなり、年表的な歴史からはこぼれ落ちる、庶民の人生や感情はどんどん忘れ去られていきます。日本の軍国少年から中国の人民解放軍兵士となり、日本に帰国後は日中友好に力を尽くした砂原さんの激動の人生は特異なものではありますが、アイデンティティーや居場所を探し求める気持ちは現代のわれわれにも通じるものです。過去の事実を、共感をもって知る。この積み重ねがより良い関係を築いていくために重要なことだと思います。砂原さんが語ってくださったこと、そして『血と心』という形あるものにまとまったこと、これらは未来への大きな財産です」

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