中国で注目の修復工芸「金継ぎ」

2021-10-29 18:07:37

汕頭大学長江新聞輿伝播学院教授 加藤隆則=文・写真提供

広東省・汕頭大学新聞学院でジャーナリズム関連科目のほか、全校生を対象にした「日中文化コミュニケーション」の授業を担当している。30~40人規模の小クラス制だ。学生の自主性を重んじ、自由研究を奨励しているが、最近、アニメやファッションなど現代的なトピックのほか、「茶道」「俳句」あるいは「わび・さび(wabi‐sabi)」といった伝統文化に関するテーマが目立つようになった。

中国の若者の間でも、日本の「癒やし系」が流行語となっている。加速度的な科学技術の進歩が、社会環境に未曽有の変化を促し、将来の不確実性がますます高まっている。心のバランスを保つため、精神的な安らぎを求めるのは、洋の東西を問わず自然なことかもしれない。日中両国は仏教や老荘などの思想を共有しているので、文化面での親密性も高い。

 

「こんにちはサロン」で講演

7月10日、北京・前門の「MUJI HOTEL BEIJING」でコロナ下の国際交流を探求する「こんにちはサロン」の第2回イベントを行った。もともと主な対象として中国の若者を想定していたので、テーマの選定や企画立案に際しても、日々の授業を通じて感じた若者たちの新たな潮流を参考にさせてもらった。

 

7月10日、MUJI HOTEL BEIJINGで行われた「こんにちはサロン」

サロンの講演者は私を含め計3人。茶道裏千家淡交会北京同好会講師の松井美幸氏が「日本の茶道と季節感」と題し、中国に由来する日本の年中行事や季節の移ろいを取り入れた「茶の湯」の表現などについて解説し、「MUJI HOTEL BEIJING」総経理の濱岸健一氏は、仏教の影響を大きく受けた日本の庭園が、一貫して重んじてきた「自然との共生」を語った。ともに質問が相次ぎ、関心の高さを物語った。

私が選んだ講演テーマは「金継ぎ」だ。「金繕い」とも呼ばれ、中国語ではこちらの表記が用いられている。私が毎年引率している汕頭大学日本取材チーム「新緑」は2019年、京都・奈良・大阪を訪れたが、その際、京都紫野の漆芸店「平安堂」を取材し、文章と映像を発表した。サロンではその映像をもとに金継ぎの技術、精神を紹介するとともに、金継ぎ以前、中国から日本に伝わった修復工芸「鎹止め」の交流にも言及した。

初めて耳にするという参加者が多かったが、興味深く聞いてくれた。私の大学での授業でも、やはり金継ぎに対する関心は高い。技術だけでなく、その背景にある精神文化についても深く知ろうとする学生たちの意欲には驚かされる。

金継ぎは、粘着力の強い漆を用いた陶磁器の修復工芸で、金粉で仕上げをする。英語で「china」が陶磁器を意味するように、「japan」は漆器の代名詞である。そこで私は講演のサブタイトルを、「china(陶磁器)とjapan(漆)の出会い」とした。

 

金継ぎと「わび・さび」

漆による修復は古くから行われていたが、室町時代以降、茶の湯の発展に伴い、茶道具を尊び、重用する金継ぎの美が広く受け入れられるようになった。茶の湯は禅宗の強い影響を受けて誕生し、わび・さびの美意識を体現する。禅宗自体が直感を重んじるため、それを土台とするわび・さびも言葉で定義するのは難しく、かつ必ずしも適当ではない。とはいえ、美術史家・岡倉覚三(天心)が英語著書『The Book of Tea』(1906年)の中で、茶道精神の核心を「imperfect(不完全)」と言い表したものが、わび・さびをひと言で言い当てた表現として広く受け入れられている。

この点では、欠損や亀裂を生かしながら、そこに新たな命を与える金継ぎは、まさにわび・さびの美意識にふさわしいと言ってよい。京都の平安堂がちょうど臨済宗・大徳寺の向かいに店を構えているのも、禅と金継ぎの密接な関係を物語って面白い。

近年、日本での愛好者が増えている金継ぎだが、ハウツーものの本はあるものの、系統立てた内容の書は少ない。その中で、注目すべき一冊は甲斐美都里著『古今東西―陶磁器の修理うけおいます』(2002年、中央公論新社)だ。

甲斐氏は京都で生まれ育ち、幼少期から骨董に興味を持った。その後、縁あって英国で陶磁器の修復技術を学び、日本に戻ってから金継ぎを習得した。東西の修復工芸に通じた人物として貴重な存在だ。

書名にわざわざ「修理」を使ったのには訳がある。西洋は収蔵や鑑賞を目的とし、完全な原状回復を目指す「修復(restoration)」なのに対し、東洋は実用を重んじ、再利用を目的とした「修理(repair)」だというのが著者の見解だ。あえて言えば、完全を目指す西洋の「修復」に対し、不完全(imperfect)を受け入れる東洋の「修理」との違いということになろうか。もっとも日本語の修復には修理の意味も含まれる、とのただし書きもついている。

甲斐氏が同書の中で、茶の湯の祖・村田珠光(1423~1502年)の残した言葉を取り上げ、金継ぎの心を表したものと評している。

「月も雲間のなきは 嫌にて候」

まさに不完全を尊び、足るを知る境地が語られている。江戸期の俳人・松尾芭蕉の代表的な一句、

「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」

にも通じるわび・さびの美学である。

珠光は大徳寺で、現代アニメの主人公にもなった一休宗純に参禅し、茶と禅との融合「茶禅一味」を唱えたことでも知られる。こうした不完全な美、自然な美の発見が、後の金継ぎを生む精神的土壌を作っていくことになる。

興味深いのは、珠光を茶道師範としたとも言われる室町幕府8代将軍・足利義政が珍重した青磁茶碗「馬蝗絆」の修復にまつわるエピソードである。

江戸時代の儒者・伊藤東涯が記した『馬蝗絆茶甌記』によると、この茶碗は平重盛が浙江省杭州の寺院に黄金を喜捨した返礼として贈られたもので、その後、義政の手に渡った。当時、底がひび割れていたため、中国(明)に使者を送って同じ茶碗を求めたが、当時の中国にはすでにその技術はなく、鎹止めで修復し、送り返してきたというのだ。

国立文化財機構のサイト「e国宝」によると、「平重盛所持の伝承は、龍泉窯青磁の作風の変遷に照らして史実とは認めがたいものの、足利将軍家以降長く角倉家に伝えられていたことから、伝承には信憑性がある」とのことで、重要文化財に指定されている。2019年には北京故宮博物院と浙江省博物館で展示され、「里帰り」が実現した。

義政は応仁の乱を招くなど、政治的には無策だったが、京都東山の禅寺・慈照寺(銀閣)に隠居し、水墨画、茶、連歌、能、いけ花など、禅宗の影響で栄えた文化を擁護した。こうした中で、「馬蝗絆」への愛着も、珠光との交遊も生まれた。「馬蝗絆」はその後に発展する金継ぎとも深い縁を持っていたことになる。

 

欠損や亀裂に新たな命を与える金継ぎ

 

中国で静かなブーム

第2回「こんにちはサロン」には後日談がある。参加者の中に北京三里屯の外交人員言語文化センターで金継ぎ教室を開いている李哲氏がいた。李氏は中国駐名古屋総領事館に勤務時代、由緒ある「幸兵衛窯」(岐阜多治見)第七代加藤幸兵衛氏の従妹、加藤恵子氏に師事して金継ぎを学んだ。

金継ぎ教室の開講は今年6月だが、すでに生徒は外国人を含め7班計32人に増えている。私は7月24日、李氏に招かれ、同センターでほぼ前回同様の講演を行った。集まったのは愛好者ら約40人。熱心に質問をしてくる若者もいて、中国で金継ぎが静かなブームになっていることを身をもって知ったのである。

さらに言えば、サロンの直前、私の学生が北京郊外に金継ぎの陶磁器を取り扱う骨董商「土氣」を見つけてくれ、早速足を運んだ。オーナーは80年代吉林省生まれの白昀沢氏。北京で工芸を学び、柳宗悦らが主導した日本の「民芸運動」に興味を持ち、自分でも金継ぎ作品を創作しながら、日中韓の3カ国を巡って金継ぎや鎹止めなど修復工芸の骨董を集めている。自宅兼店舗、アトリエは狭いながらも、民芸調の雰囲気を味わうのに十分だった。

今夏の北京はあいにく雨続きだが、芭蕉の句にもあるように、景色を遮るものがあってこそより有難みが増すと考えたい。中国における金継ぎの現状について、収穫の多い夏を過ごすことができた。コロナ下だからこそ、身の回りを改めて見直す貴重な機会を得ているのかもしれない。

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