民間の努力が中日をつなぐ 魯迅と藤野先生を巡り交流

2021-12-03 18:06:36

王朝陽=文 中国駐新潟総領事館=写真提供

若き日の文豪・魯迅は1904〜06年、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に留学し、解剖学教授の藤野厳九郎と強い師弟の絆で結ばれた。後に魯迅はこの経験を『藤野先生』と題した一文に記した。これは中国の国語の教科書に掲載され、日本理解の窓口になり、中日民間友好事業の種をまいた。

今年は魯迅生誕140周年に当たる。中日の人的・文化交流での際立った貢献を記念し、両国の交流過程に対する100年来の大きな影響を振り返り、民間交流の発展方向を見定めるため、中国駐新潟総領事館と魯迅文化基金、中国国際教育テレビ局(CECTV)は10月30日、「中日オンライン交流会―魯迅と藤野先生」を共同開催した。

交流会では、駐日本中国大使館の孔鉉佑大使と宮城県の村井嘉浩知事がビデオメッセージを発表し、孫大剛総領事とCECTVの王凱歌常務副社長が主催者側を代表してあいさつした。魯迅の孫でもある魯迅文化基金の周令飛会長、本誌の王衆一総編集長、東北大学の山口昌弘副学長、仙台魯迅研究会の車田敦理事長がパネリストとして発言した。学生100人余りを含む中日各界の代表約200人が参加した。

 

オンライン交流会で発言したゲスト。上右から孔鉉佑駐日本大使、村井嘉浩宮城県知事、孫大剛新潟総領事、王凱歌CECTV常務副社長、下右から周令飛魯迅文化基金会長、王衆一人民中国雑誌社総編集長、山口昌弘日本東北大学副学長、車田敦仙台魯迅研究会理事長

 

永遠に友情引き継ぐと決意

孔大使はビデオメッセージの中で次のように述べた。「魯迅先生と藤野教授の物語は中日両国の人々の2000年余りにわたる相互学習と相互参考、友好的な往来の生き生きとした縮図で、私たちが共有する貴重な財産であり、代々受け継ぎ、大いに発揚する価値があります。来年、中日両国は国交正常化50周年の重要な節目を迎えます。過去100年間になかった世界的大変動を前に、中日関係も新たな岐路に立ち、新たなチャンスと試練に直面しています。先日、習近平国家主席が岸田文雄首相と電話で会談し、両国の指導者は中日関係の発展に目標と方向を指し示しました。双方が常に初心を忘れず、正しい方向を堅持し、互いの利益とウインウインを拡大し、矛盾と不一致をコントロールし、実際の行動によって指導者の政治的コンセンサスを実行し、両国関係の新たな発展の未来を共に切り開くよう希望します」

孫総領事は主催者側を代表して次のようにあいさつした。「魯迅は私たちの総領事館の管轄区域にある東北大学の前身・仙台医学専門学校で医学を学びました。100年余り後の今日、東北大学の中国人留学生はかつての魯迅1人から1000人以上に増え、仙台は中国人観光客に好まれる目的地の一つになりました。中日両国の人々の友好は伝わり続け、後継者がいます」

周会長と家族の数十年に及ぶ日本の友人との交流は、まさに世代を超えて続く中日民間友好の縮図だ。彼は今回、長らく積極的に日本との民間交流に関わってきた感慨を語った。「小さい頃、祖母がしばしば日本の友人に会っていたので、家に日本の精巧な置物や贈り物がたくさんあったのを覚えています。72年9月の中日共同声明の調印時、私は北京民族飯店の近くで日本のテレビ中継車を見掛けました。父の働く中央放送事業局技術部が日本の同時中継のために技術的な支援をしているのだと父は私に言いました。私が本当に日本人と会ったのは78年です。きちんとしたスーツやネクタイ、和服を身に着けた男女数十人に会いました。通訳を通じ、彼らが祖父の師・藤野の同郷者だと分かりました」

その後、中日間の人的・文化交流がますます盛んになり、周会長は藤野の勤務地だった仙台市と故郷の福井県あわら市を何度も訪問した。彼は過去を振り返り、感慨深げにこう話した。「指折り数えると、私が日本や藤野を知ってもう50年になります。私は仙台を6回、あわらを十数回訪ねました。祖父から数えると、私たち一家の4世代の者が仙台とあわらにはっきりと足跡を残し、一生消えない美しい記憶を残しています。この友情は心に刻んで大切にしなければならないと父と私は分かっています。現在、私たち一家にはもう5世代目がいます。彼らも永遠にこの友情を引き継いでいくでしょう」

 

政治に影響されない関係を

魯迅は仙台医学専門学校の最初の中国人留学生だった。彼に始まる仙台と中国の友情の絆は、中日交流の拡大に伴って日増しに堅固になっている。仙台などでは、魯迅の精神を受け継いで中日友好を促進する民間団体が数多く活動している。魯迅がかつて講義を受けた「階段教室」は今では東北大学の名所だ。来年春には、魯迅の下宿の跡地に魯迅を記念する公園が完成する。

車田理事長は「30年代以降、仙台の文学愛好家は魯迅の作品と生涯を研究し始め、研究と民間友好促進を一手に担う団体組織を徐々に形成してきました。私たちの研究の願いは、魯迅と藤野、仙台医学専門学校の同級生、仙台市民が共同で書きつづってきた国際交流史を後の世代に伝えることです」と述べた。

中日国交正常化50周年以降の次の50年を前に、私たちは魯迅の交流の中からどう知恵をくみ取るべきなのか。山口副学長は特に学内の中国人留学生に次のようにメッセージを寄せた。「魯迅と藤野の師弟の友情は時間と空間を超えて今日まで続いています。このことは、人と人の間の友情が国家関係の良しあしによって変わることはないということを教えてくれます。中国人留学生が今後数十年の中日関係発展に貢献できるよう望みます」。山口副学長は発言の最後で、魯迅と藤野の友情を模範とし、一時的な政治環境の影響を受けず、未来に目を向けて長続きする友情を育てるよう学生らを激励した。

王総編集長は「惜別と握手」と題して『藤野先生』の背景を深く分析し、日本との交流に対する魯迅の心境を探り、中日民間交流と文化交流の推進を堅持した魯迅の一生を次のように振り返った。「魯迅は恩師の藤野だけでなく、平和を愛し、中国を尊敬し、進歩的な思想を持つ日本の友人160人余りと付き合いました。彼が切り開いた中日間の個人的な友情は、新しい時代においても途絶えることなく続き、未来に希望を与えています。これは私たちが揺るぎなく民間の友好を推進し、自信を持って人的・文化交流を行い、中日関係を全く新しい境地へ推し進めるかがみになるでしょう」

交流会の最後に王常務副社長は次のように総括した。「中日の長い文化交流史の中で、無数の歴史的な人物が両国の友好的な交流と協力のために感動的な物語を記してきました。中日各界が魯迅を記念することを契機とし、中日文化協力にいっそう力を入れ、中日両国の民間交流の輪を広げ深さを増すためにたゆまず努力するよう希望します」

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