乗継便

2021-10-28 10:35:00

勝又緋彩

私は17年間、富士山のふもとで生まれ育った。

北は富士山がそびえ立ち、南に駿河湾を臨む、自然豊かでのどかな街だ。

しかし、良くも悪くも田舎なので、閉鎖的・保守的な雰囲気が漂い、新しさや活発さを求める私は常に物足りなさを感じていた。そして「将来はこんな田舎抜け出して絶対欧米に留学するんだ!」と強く意思を持っていた。

(当時、留学=欧米諸国というイメージがあった)

中2の春、留学について検討するために、オーストラリア研修に参加した。

フィールドワークの一環でとある山を散策したのだが、「あれ、ここってオーストラリアだよね?」と耳を疑うほど、

四方八方から中国語が聞こえてきた。さらには、絶景スポットの前で写真を撮る中国人や、お土産を爆買いする中国人、中国語の書いてある観光バス、中国語で書いてある張り紙・・・等見渡す限り「中国」であった。「私は今中国に来ているのか・・・?」と錯覚してしまう程だった。この時は特に中国に興味が無かったので、「それにしても、中国人って声大きいなあ」「中国パワー、凄すぎる・・・」としか思わなかった。

帰国後、オーストラリアで買ったお土産を食べながら何気なくテレビを付けると、「上海グルメ&観光スぺシャル特集」が放送されていた。そこに映っていたのは、外灘の夜景だった。ヨーロッパ風の建造物や近未来的な高層タワー群が織りなす夜景と、それを背景に黄浦江の上を優雅に進む船。そして画面は南京東路へと切り替わった。歩行者の頭上にずらっと並ぶおびただしい数のネオンの看板。再び画面が切り替わると、私が愛してやまない某ジ〇リ作品を彷彿とさせる建物が出てきた。豫園商城である。中国の伝統的な建物が現代の技術でライトアップされている様子はとても幻想的で、懐かしいような気持ちも生まれた。恥ずかしながら、当時私の抱いていた中国に対するイメージは「人民服を着て、自転車に乗って・・・」で止まっていたので、「中国ってこんなに発展していたんだ!」と終始驚きの連続だった。イメージを大いに覆された。この時は「いつか旅行にいけたらいいな」程度にしか思わなかった。

その後、中3の秋にカナダ研修に参加し、冬には修学旅行でハワイに行った。ハワイの帰国便にて、自分の一年間の旅を振り返った。「思ってたのと違った。何かが違う。不完全燃焼だったな~」と考えながら、夢の世界に入っていった。

こんな夢を見た。

豫園商城の湖心亭でお茶を飲んでいる私。南京東路の看板に書いてある漢字をたどたどしい中国語で読み上げる私。

「そうか!!」目が覚めた。「何かが違う」のは、「アジアのもの」に触れていなかったからだ。英語圏にいると、自分のアイデンティティを探るかのように、アジアの文化や食・人間が恋しくなる。オーストラリア帰国後、番組を見ながら感じた「懐かしさ」がまさにそうだ。離れてみて初めてわかるもの。それが自分のアイデンティティだった。

とにかく欧米諸国に憧れ、自国やアジアの文化を疎かにしていた私は、帰国後「アジア文化」というものを強く意識し始めた。その中でも大きな存在感を放つのはやはり「中国」である。古代日本が中国を見習って国づくりをしたり、日常生活で何気なく使っているものでさえ中国由来のものだったり、日本が発祥だと思っていたものも中国由来だったり、日本はもちろん、世界各国に華僑の方々がいてチャイナタウンを作ったり・・・調べれば調べるほど、中国4000年の歴史が積み上げてきた文化の荘厳さや壮大さに惹かれていった。「現地中国で歴史と文化を学びたい・・・!!」そう決心して2年ほど経った今でも、その気持ちは変わらず、私は今、北京に留学する準備をしている。

私と中国との出会いはオーストラリア、カナダ、ハワイの3か国を経由して出会った、乗継便のようなものだ。

もちろん、私が留学初日に乗る飛行機は、直行便だろうけど・・・。

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