私が中国語を学ぶ理由

2021-10-28 15:14:25

久保田智幸

私は第二外国語として中国語を学んでいる。

先日、中国人留学生の汪さんと知り合い、すぐに仲良くなった。汪さんは日本のアニメが好きで私が知らない作品まで知っていた。そこまで日本のことに興味を持ってくれているなんて私は少し嬉しかった。私が中国語を選択していることを話すと、「なんで中国語にしたの?」と彼は尋ねた。私はうろたえた。日本の文化などが好きで日本語を学んでいる汪さんに対して私は中国のことなど何も知らず、中国語を選んだ明確な理由がなかったからだ。とっさに出た言葉は「中国語を話している人は多いから」だった。気のせいか汪さんはさみしそうだった。私はなんだか汪さんに申し訳なくなり、このままただ漫然と中国語を学ぶのではなく中国のことをもっと知った上で中国語を学びたい。そんな気持ちが強くなった。

その後私が彼に日本語を、彼が私に中国語を教えることになった。また、互いの言語だけでなく生活や文化まで教え合った。数日後、汪さんが中国のお菓子を持ってきてくれた。中国の食べ物を見るのは初めてだったのでとても嬉しかった。家に帰り、さあ食べようと思ってふとパッケージを見ると、印字されている賞味期限の日付が目に入った。“2021/03/13”。今日は816日。5ヶ月も過ぎているではないか!さすがにおかしいと思って伝えると、中国では賞味期限ではなく、製造年月日を印字するのだそうだ。そして、賞味“期間”として“保:○个月”と記載するらしい。なるほど、先ほど見た日付は製造年月日だったのか。もう一度パッケージを見返すと、“保9个月”よかった、まだ食べられる。ほっとするのと同時に私の中にはもう一つの感情があった。それは自分の中の常識が常識でなくなる新鮮さだった。

私は汪さんからいろいろ教えてもらったとはいえ、まだ実感がなく中国のことを聞いてもどこか遠い国のことを聞いているような感じだった。それを汪さんに伝えると、汪さんは他の留学生も紹介してくれて一緒に火鍋を食べようと誘ってくれた。私は中国人と言えば内輪でまとまっていて、どこか近づきがたい印象があった。そんな中国人たちの中に私一人日本人で大丈夫だろうかと、とても緊張していたがそれはすぐ消えた。まるで前から友達だったかのように話しかけてきてくれたのだ。少し驚いたが、なんだか中国とグッと距離が近づいた気がした。そして私はいつの間にか中国人というフィルターを通して彼らを見ているのではなく、その人たち個人を直接見ていることに気がついた。

それから彼らと中国と日本の間の問題についても議論したが、そこでも私は日本側の視点しか持っていないことに気づいた。また、私が持っていた中国に対する多くの偏見にも気づかされた。しかしそのおかげで同じ問題でもいろいろな方向から考えられるようになった。

それだけではない。彼らとの対話は、自分を見つめ直す良い機会になった。彼らにいろいろ質問されるうちに、自分の言葉、自分の文化、自分自身を意識するようになり、自分を客観的に捉えることができるようになった。自分の外側と内側の両方に目を向けることで、今までぼんやりとしていた自分の姿が鮮明になってきたのだ。

私は汪さんたちと出会って考え方が変わった。新しい価値観を自分に取り込むことで自分と向き合い成長できた。

とはいえ、私はまだ中国について知らないことばかりである。中国は広く、「中国の文化」と一概には言えないそうだ。地域ごとに風習が異なり、当の中国人でさえ他の地域の風習に驚くことが多いという。まだまだ中国のことを知りたい。

なぜ中国語を学ぶのか。春先には自信を持って答えられなかった質問に、今なら自信を持って答えることができる。私が中国語を学ぶ理由。それは中国の文化を知って、そのままでは見ることができない自分の姿を、広大な中国の言語や文化という鏡に映して見つめ直すためだ。

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