私と中国とダンスと歌

2021-10-28 15:13:23

市川麻恵

私は中国に行ったことはありませんが思い返せばいくつか中国との思い出があります。それらは私の中で大切な思い出として今も残っています。

中国との関わりをもった1つ目の出来事は小学生の時に、上海歌舞団の「朱鷺」という作品を日本で見たときです。その舞台は舞踊を主としていて、とてもきれいですごく感動して圧倒されたのを覚えています。私もダンスを習っていたことからこんなダンスを踊りたいと思いました。

またその公演が終わると見ていたお客さんが全員スタンディングオベーションをしていたこともとても印象に残りました。国を超えて踊りというものが心をつないでくれたと思いました。

中国との思い出の2つ目。小学5年生のときに日中友好絵画展のオープニングで歌わせていただく機会がありました。私は小学4年生から中学3年生まで合唱団に所属していたのでその合唱団の一人として参加しました。私達が歌った後、中国代表で同じ年代の子たちが歌や踊りを披露してくれました。その記念写真やお土産を交換しました。私達から中国のみんなに送ったものの一つに自分の住所を書いた絵葉書を贈りました。すると約一ヶ月後家にその絵葉書を送った子から絵葉書が届きました。素敵な灯台の絵と中国語で文字が書いてありました。絵や文字には温かみがあって一生懸命書いてくれたことが伝わってきました。私は中国語が読めなかったのですが、そのもらった手紙になんて書いてあるのかを知りたいと思いました。そこで近所に中国人の旦那さんがいる家族が住んでいることを思い出しそのお手紙を日本語に訳していただくことになりました。そこにはあのとき過ごした時間がとても大切な時間だったというような趣旨のものが書いてありました。違う国にお友達ができた感じがしてとても嬉しかったです。これらの経験から私は幼いながら言語は違っていても歌や踊りや絵画というもので仲良くなれることに感動しました。

3つ目に、中学3年のときに日中友好青年大会で中華全国青年連合会の方々と交流させていただきました。そこでもお互いに歌を歌い合いました。そこで「朋友」「大海」などを中国語で歌わせていただきました。その時間はとても私にとって有意義な時間でした。私はこの歌わせて頂いた2つの中国語の歌が曲調が中国らしくてきれいで温かいメロディーで大好きでした。中国語の発音はとても難しかった覚えがありますが、歌うときには中国語がわからないなりにみんなでその歌詞の意味を日本語に訳してちょっとずつ理解していきながら歌いました。中国語は漢字が主なので日本語の意味を見てから中国語を見るとこの漢字が日本語ではこういう意味なんだと発見がありとても嬉しくなりました。

私は「朋友」の「朋友一生一起 走那些日子不再有 一句話 一輩子 一生情 一杯酒」という歌詞が好きです。日本語に訳すと「友よ一生一緒に歩いて行こう。あの日々はもう戻らなくても。一つの言葉、一生涯、一生の契り、一杯の酒」という意味があります。この歌を歌うと大事な友との思い出を思い出します。そして「 一句話 一輩子 一生情 一杯酒」というところでは将来お酒を交わしながら色々な話ができるんだろうなと幸せな気持ちになります。私はこの歌のように日本と中国もそんな関係になれたら良いなと思うし、私がこう子供ながらに中国と様々な方法で関わり、幸せな気持ちになったようにたくさんの子どもたちが交流してお互いに幸せな気持ちをシェアできるような場があってほしいと思います。そういう子どもが増えたらその子たちが大人になった時、その経験が日本と中国を結ぶ架け橋になると思います。

このような様々な経験を通してたとえ言語が違ったとしても、挨拶1つ、歌1つ、踊り1つ、手紙1つ、笑顔1つで心を通わせることができると感じました。

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