ハイヒールとヘルメット

2021-10-28 14:15:17

嶺岸季子

会社の昼休み。オフィス街の公園のベンチで、靴を脱いで、ネクタイを外し、バックを枕にして気持ちよさそうに寝ているサラリーマンがいた。通りすがりの人達は、見て見ぬふりをしている感じだったけど、でも私には彼の姿は、工事のおじさんが昼休みヘルメットを枕に地面で寝ている中国での光景を思い出させた。なんだか、走馬灯のように中国での思い出が頭を駆け巡った。

 同じ街の中で、豪華なホテルの前を上半身裸で歩いているおじさん、スーツを着て電話をしているサラリーマン、道路脇で果物を売っているおばさん、お茶を飲みながら将棋を指しているおじいさん、広場でダンスをしているおば様方。たくさんの出店があって、遠くからは呼び込みの声が聞こえてきて、良い香りが漂う。皆の共用キッチンが外にあるみたい。同じ空間の中で、多種多様な人々と物が共存しているのに、なぜか不思議と馴染んでいる。

中国での生活は、車がビュンビュン走ってなかなか渡れない、ひっきりなしに動く中国の道路みたいにぎゅっと詰まっていて、日本と中国が同じ24時間であるということが信じられなかった。すごいエネルギー量だったから、その中で生活する私も自然と逞しくなった。

淘宝で買った10元の服、履きすぎてすり減ったビーチサンダル、朝食の5元の手抓、30元で切ったちょっと不揃いの髪を揺らして、化粧はもちろん、日焼け止めも塗らずに登校。図書館で勉強して、眠くなったらベンチで昼寝をして、夜はグラウンドでおばさんたちに交じってウォーキング(めちゃくちゃ速い)。食堂でわざと相席をして宿題を教えてもらったり、本科生の授業に潜り込んだり。あの頃の私はきっと怖いものは何もなくて、生きたいように、自分がしたいことを自由にのびのびとやっていた。そんな自分を受け入れてくれる環境が、そこで生活している自分が大好きだった。

でも、2021年の、おじさんの前でお弁当を食べている私は、その頃とはちょっと違う。少し大人になってしまった。

化粧をして、綺麗な服をきて、ハイヒールを履いて、身だしなみに気を遣い、電車に揺られて毎日会社に向かって、へとへとになるまで仕事をして。休日は、ボーナスで買ったブランドのバックを持って、都内のおしゃれランチをして、写真をとって、SNSにあげて。

私が本当に望むことってなんだろう。私が好きなことって何だろう。今の生き方でいいのか。この先どうやって歩んでいけばいいのか。時々、人生が不安になることがある。今自分が手にしているもの、今の自分になぜか満足できない。今だってそれなりに楽しいし、あの頃よりも、金銭的余裕もあるし、社会的地位だってある。でも、自分が豊かになればなるほど、目には見えない何かから、知らない間にプレッシャーを与えられている感じがする。

自分が本当にしたいことは何なのか、何をしている時が楽しいのか。いつの間にか気に留めなくなっていた。ただ毎日あくせくして、人生の中で一番基本で大切な事すら、忘れてかけていた。

私は中国が大好きで、中国で生活していた自分も大好きだ。あの時に感じた気持ちを忘れたくない。中国に行って、あの空気感、環境の中で、自分自身を取り戻したい。中国が立派にコロナウイルスを乗り越えたように日本も必ず乗り越え、自由に往来できる世の中が早く来ることを切実に望んでいる。

中国での自分、感じた温もりや優しさ、過去の時間も思い出も、決して私の中から消えることはない。悲しい時、辛い時には、心の底からそっと取り出して、いつだって思い出そう。

今日は早く家に帰って西を作って、大好きな我的少女を久しぶりに見よう。微信で久しぶりに朋友圈をあげよう。休日は大好きな麻辣を食べて、神保町の中国書店に行こう。

中国はいつだってどこだって私をよみがえらせ、大切なことを思い出させてくれる。誰かに好かれる自分じゃなく、自分が好きな自分になろう。

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