私と中国を結ぶもの ―これまでとこれから―

2021-10-28 14:11:35

小屋敷瑛美

高校生の頃、進路を考えるにあたって、大学では東洋史を学びたいと強く思っていた。これは、中学生のときに読んだ『岳飛伝』(田中芳樹編訳、中央公論新社、2001年)や『蘭陵王』(田中芳樹著、文芸春秋、2009年)などの影響が大きい。それまで英米文学にどっぷり浸っていた私にとって、すぐ隣の国の歴史を題材にした小説は全くの未知なる世界であり、あっという間にそこに引き込まれてしまった。したがって、私の中国への関心及び大学選びの起点はここにあると言ってよい。

ところが、よくよく考えてみると、小学生の頃から点々と中国との結びつきがあったことに気がつく。小学1年生で初めて漢字を習い(これも立派な中国文化との交流といえるだろう。毎日の宿題で出された漢字練習は、1ページでいいところ、倍の2ページやるほど漢字を書くことが好きだった)、小学4年生からは友人に誘われて詩吟を習い始めた(李白の『峨眉山月歌』が気に入っていた)。また中学生になると、当時通っていた書道教室で王羲之の『蘭亭叙』など中国の有名な書家のなぞり書きをしていた。学校の漢文の授業で書き下し文をもとに白文に返り点をつけるのも好きだった。振り返れば色々出てくるものである。

そんなこんなで何とか希望する大学に合格し、第二外国語として中国語を選択した。はじめは、試験でよい点を取ることやクラスで一番になることばかりに気をとられて、がむしゃらに勉強していた。周りから見たら相当イタイ奴だったと思う。けれども、中級クラスに進んでからは「中国語を学ぶこと」それ自体が楽しくなり、あれもこれも中国語で言ってみたい! と、気づけば肩の力が抜けていた。また、中級以上のクラスは履修者が5人前後のことが多く、毎回の授業が大変充実していた。さらには、受講者が自分一人だけで、マンツーマン授業となった学期もあった。このときの担当教員は日本語が全く話せないネイティブの先生で、日本の歴史や文化に関心があり、授業でも「日本の○○について教えてほしい」と言われるのが常だった。

例えば、「ぼたもちとおはぎの違いは?」「日本の七夕について、中国とはどう違うのか?」「いつから寿司はあるのか?」などなど。その場ではすぐに答えられない質問が多く、宿題として持ち帰っては、インターネット・事典・図書・論文などのツールを駆使して必死に調べていた(もちろん調べただけでは終わらず、そこから今度は中国語で説明できるように文章を考えなければならない…!)。調べて面白かったのは、「ぼたもち」と「おはぎ」と呼ばれる和菓子である。前者は春のお彼岸に食べるもので、後者は秋のお彼岸に食べるものだということは多くの人が知っていると思うが、夏は「夜船」、冬は「北窓」と呼ばれることを知っている人は少ないのではないだろうか(それぞれの由来はぜひ自分で調べてみてほしい)。

中国語の勉強をしているはずなのに、なぜか日本についての知識が増えていくという不思議な現象は心地よいものであった。この心地よさが、大学を卒業して社会人となった今も中国語を学び続ける原動力のひとつとなっている。他国をもって自国を知り、自国をもって他国を知る、というところだろうか。また、現在は大学図書館に勤務していることもあって、日本と中国の大学図書館事情や図書館職員のあり方に関心があり、これも私の学びを後押ししている。今はまだ点と点にしか見えないこれらの出来事も、年月が経てば一本の線になるかもしれない。それがどんな線を描くのか知りたいからこそ、日々学ぶことを続けている。さて、5年後、10年後にこの文章を読んだ自分は何を思うだろうか。

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