教え子との「再会」

2021-10-28 14:11:19

築切佑果

新型コロナウィルスの世界的流行によって世界は大きく変わってしまった。「ソーシャルディスタンス」という言葉が叫ばれ、物理的な距離に加え、心の距離までもが遠くなっていくようだ。私は3年ほど前まで湖北省の田舎町にある大学で日本語教師をしていた。私が働いていた当時、「湖北省」という地名を知っている日本人はほとんどいなかった。それが今では「湖北省」や「武漢」の地名を知らない人はいない。まさかこのような形で「湖北省」の名前が世界に知れ渡るなんて、何とも複雑な気持ちである。

2020年、コロナウィルスの流行がなければ、中国に旅行に行くつもりだった。目的は卒業生たちに会うこと。日本語学科を卒業した学生たちは、武漢や上海、広州などで社会人として活躍している。卒業生たちは時々メールをくれる。「先生、広州に遊びに来てくださいね」「上海に来るときは連絡してください」。そんな彼女たちとの再会も今では困難だ。ところが、このコロナ下で、私は思いもよらぬところで卒業生と「再会」を果たすことになった。

昨年、自粛生活が続き、時間を持て余していた私は人民中国杯翻訳コンテストに参加してみることにした。私の中国語レベルは決して高いとは言えないが、中国語から日本語への翻訳であれば、私でもできるのではないかと考えたのだ。新型コロナで世の中が停滞する中で、とにかく前に進まなければ。そんな想いだった。休日や通勤時間を利用して、ようやく翻訳文を完成させることができた。夏前に応募して、結果発表があったのは秋頃だった。私の作品は運よく優秀賞に選ばれていた。何気なく入賞者の一覧を見ていた時だった。かつての教え子の名前を見つけたのだ。無数の漢字の中から、特定の人物の名前を見つけるのは容易ではないと思う。しかし、日本語教師時代、学生を様々なコンテストに参加させていた経験から、いつしか入賞者一覧の中から教え子の名前を見つけるのが私の特技になっていた。偉さんと秦さんの名前。学校名を確認する。間違いなく私の教え子だ。

偉さんは4年生の学生。私は彼女に1年間しか日本語を教えられなかったが、努力家で非常に優秀な学生だった。偉さんの入賞を知って、私は早速、彼女にメールで連絡してみた。すると、すぐに返事があった。数年前のお正月に新年の挨拶メールをもらったことはあるが、久しぶりのメールだ。何だか嬉しかった。彼女がコンテストで入賞したことはもちろん、コンテストに挑戦してみようと思ったこと、日本語の勉強を続けていたこと、そして、またこうして連絡を取り合うことができたこと。翻訳コンテストに応募したことがきっかけで、このようなところで、学生と「再会」できるとは思わなかった。

秦さんは卒業生で、現在は湖南省で大学院生として日本語の研究を続けている。彼女も真面目で目標に向かって努力できる学生だ。その甲斐あって、大学院合格を勝ち取ることができた。本当なら、彼女は今年、日本へ留学する予定だった。それも、コロナウィルスの流行によって、叶わなくなってしまった。「日本で会いましょうね」。そんな約束も果せなかった。けれど、中国で日本語の研究を続ける秦さんと、日本で中国語の勉強を続ける私、きっと必ずまたどこかで会えるはず。現在も世界各地でコロナウィルスとの闘いが続いているが、翻訳コンテストに参加し、秦さんと「再会」したことで、それは確信に変わった。

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