出会い損ねの中国

2021-10-28 14:10:09

嵐大樹

私と中国の関係は、率直に言って「出会い損ね」の連続であった。

中国という存在にきちんと興味を持ち始めたのは、大学4年生の時の欧州留学である。元々理系だった私は、次第に国内外の芸術文化に強く惹かれてフランス文学科へ文転し、ついで映画を学ぶために欧州へ留学した。それまで、アメリカ旅行のためのトランジットで北京に2日間滞在した他に私と中国との関わりはほぼなく、主な関心はずっと欧米に集中していた。しかしその転機となったのが、まさにその欧州への長期滞在であった。

海外留学を機に、ルーツであるところの母国の歴史文化に改めて関心が向かうというのはよくある話である。私もまた例に漏れずその通りとなった。しかし私の場合それだけでなく、欧州という想像の共同体の強固さを現地で身をもって体感したことで、翻ってアジアという存在に本格的に関心を持ち始めていた。夏季休暇中に実家のある奈良で過ごしていたこともあり、古代の歴史を日々感じながらアジアの中の日本ということを考えているうちに、必然的に中国という大きな存在に行き当たることになった。いうまでもなく、近代以前の日本文化の大半は中国由来であるからである。

そんな中、たまたま唐招提寺を散歩していると、ある中国から来た老人と出会った。彼は、かつて仏教を通して日中友好に携わっていた団体関係者の親戚であり、そこの石碑に刻まれた親族の名前を見にわざわざ奈良を訪れたのだという。私はその時、日中文化の連綿と続く結びつきのほんの一端に触れた気がし、深い感銘を受けた。しかし同時に、相手は日本語を、私は中国語を話せないこともあって十分なコミュニケーションを取ることはできず、歯痒い思いをした。

そうして私は中国語の学習を開始し、卒業論文では辛亥革命期の中国に滞在したフランス人作家のヴィクトール・セガレンを扱うことに決めた。それは欧米、特に欧州に集中していた、進学当時の私の関心からは考えられない選択だった。ついで、大学院の進学先もそのようなアジアとヨーロッパの文化的交流を扱うことのできるところを選択し、まずは現地に触れようと進学直前には1カ月間の中国滞在も計画した。

しかし突然、新型コロナウイルス感染症が発生・拡大し、私の中国行きは宙吊りとなった。加えて、中国への渡航可能性の不確定さもあって、修士論文のテーマは日本とフランスの映画的交流へと変更された。欧州留学という意義ある遠回りを経てついに辿り着いたと思われた中国と、私はまたしても出会い損ねたのである。

私は来年から、日中交流も含む国際文化交流を担う機関で働くことが決まっている。

振り返ってみれば、これまで述べてきたような私と中国の出会い損ねの連続は、新型コロナという突発的な出来事は別として、おそらく単に私の個人的な事象ではなく、実はより深い構造的な問題であると思う。大学を始めとした日本の知の世界は依然としてヨーロッパ中心主義的であり、また、英米中心主義の学校教育や日々の報道を通して中国に特別な興味を持つきっかけはあまりない。あるいはあるとしても、その多くは残念ながらネガティブなものに偏ったものであろう。欧米より文化的にも空間的にもはるかに近いにもかかわらず、である。しかし現在のように悪化した日中関係は、日本の植民地主義時代を含めせいぜい近代以降であり、むしろ歴史的に見て異常であるとさえ言える。

もちろんその変革のために、私1人にできることは非常に限られている。しかし仕事の中で日中友好に資する文化交流の機会をこれからの若い世代に提供していくことは、将来的に彼ら彼女らが構造的な問題を変えようと行動することに確実につながっている。それはこれまで千年以上もかけて積み重ねられてきた日中関係を思えば、極めてやりがいあることであろう。このような信念を胸に、私は今後生涯を通して日中文化の「出会い直し」に貢献していく所存である。

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