泣き虫な私と中国人の愛情

2021-10-28 14:06:55

齋藤里紗

6年前のある日、ふと思い立って中国語を習い始めた。よくあるオンライン英会話の中国語版だ。もともと上海の都会的な雰囲気に憧れており、中国語を話せるようになって現地で暮らしてみたいと密かに妄想していた。

オンラインで私に中国語を教えてくれたのは、大連在住の大学生の女の子だった。

大学で日本語を専攻している彼女は、日本語でピンインの発音を一生懸命教えてくれた。とても熱心に教えてくれるので、私はすっかり彼女を好きになり、仕事終わりの夜21時頃から、ほぼ毎日中国語の授業を受けていた。

ある時彼女が申し訳無さそうに言った、「今日はまだ時間がありますか? 齋藤さんが発音を上手くできないのは私の日本語が下手なせいです。だから今日は出来るようになるまで一緒に練習をしたい」と。授業料はシステム上追加で払うことが不可能で、これは彼女も知っている。つまり彼女は自分の貴重な時間を私に使ってくれるというのだ。私はこの時、彼女の純粋な良心に心を打たれた。授業時間を大幅に越えてから電話を切った後、自分よりいくつも年下の大学生から感じる思いやりと責任感に心から感動し、思わずすすり泣いてしまった。彼女は日々仕事や人間関係のストレスにさらされ戦闘モードだった私に、純粋に真面目に物事に取り組む大事な初心を思い出させてくれた。

この出来事があって、私はなにがなんでも中国語を上達させて中国に行きたいと思うようになった。だから益々力を入れて中国語を練習した。そして5カ月後、ちょうど良く上海の会社で働く事ができる求人を見つけたのだ。

面接は英語で行われ、準備にかなり労力を費やしたがなんとか内々定を頂いた。そして会社を辞め、気付けば私は一緒に採用された同期と共に上海にいた。天にも登る気持ちだったが、それも束の間だった。現地で行われた健康診断で、私のお腹の中に嚢腫が発見されたのである。そして私の採用は取り消され、わずか2週間で日本へ帰国した。初めは地獄のようだと思ったし、もちろん泣いた。努力しても報われない、自分の力ではどうしようもないことがあるんだと、思い知った。しかし時間が経っても中国に対する気持ちが褪せることは無かった。そもそも上海の病院は、日本の健康診断では見つけられなかった嚢腫を見つけてくれたのだ。幸運だった。あの時のお医者さんは私の命の恩人だ。言葉の通じない私に丁寧に伝えてくれたことには心から感謝している。

そして今、私は中国の航空会社に客室乗務員として務めている。上海に住むという夢を叶えることはできなかったが、北京で半年間暮らすという貴重な経験をした。仕事を通して少なくとも5万人以上の中国人に会った。中国人と働く中で特に印象に残っているのは、彼らはとても合理的で無駄を省くのが得意ということだ。

そして自分の気持ちに正直で細かいことを気にしない。機内では時々大きく揺れるなどで飲み物をお客様にこぼしてしまうという場面が発生する。しかし大体の中国人は「いいよ、いいよ、大丈夫でしょ」と、ほとんど気にしない。頭から水を被ってしまった人があっけらかんと許している場面を見たときは、本当に勉強させられた。自分もこのくらいおおらかに構えられる人間になりたいと思った。

もちろんすべての人が優しいわけではなかったが、とても厳しいリーダーに嫌われていると思っていたら、実は日本が大好きな人で、厳しいのは仕事を出来なければ私本人が困るだろうという愛情、責任感からだった、ということもあった。思えばこの時も感動して泣いた。私はいつだって中国人の愛情に泣かされているのだ。とても温かい人達だ。友達になった中国人の同僚はいつだって全力で助けてくれる。日本と中国の人がお互いの良いところを持ち寄り真摯に関わった時、私達のこれまでの価値観は大きく変わり、関係は現在より更に発展すると私は信じている。

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