大皿料理と日中の文化的相違点

2021-10-28 14:05:59

木田結太朗

近年、和食の一つとして認知されるラーメンは、その起源をたどると中国に行き着く。ラーメンは千年以上続く日本と中国の交流の中でもたらされた中華料理の一つであり、私はそうした中華料理がこの上なく好きである。中華料理固有の「大皿料理文化」に魅了されたのだ。大きな皿に盛られた同じ料理を皆が円卓を囲みながら食べる文化は、我々日本人が親しむ和食にはない。和食と中華料理には様々な特徴があるが、私はこの大皿料理文化が中国の文化を特徴づける重要なものであると気がついた。

日本では古くから各自がそれぞれのお膳で食事を取っていた。丁稚など家族以外の人と食事を共にすることが多かった当時、この形式は食事を共にする人の間での身分や地位の違いを明らかする儒教的価値観の影響があったと思われる。例えば、主人の食事と他の人の食事の質に差をつけ、身分の差を明らかにしていた。明治時代以降、欧米文化や核家族化の煽りを受けてテーブルを囲む食事形式に変化してもなお、個々の皿で食事をとるという文化は根強く残っている。今日では一人で食事をとる「孤食」という形式も、一人世帯の増加などの影響で一般的になってきている。

一方で、中華料理では皆がテーブルを囲み、大皿料理を小皿に取り分けてシェアする形式が一般的だ。他の人と同じ皿の料理を食べるという発想は、平等性を感じさせ、身分制度による身分の差を強調する儒教的な価値観とは相容れない。しかしながら、儒教的な価値観は中国でも日本と同様に存在していただろう。では、なぜ中華料理では大皿料理の文化が維持されたのだろう。

私はそこに、中国の「人とのつながりを大切にする価値観」が影響していると考える。中国では昔から、国土が広大であるために村や家族といった共同体が形成されやすく、人々の共同体意識も強かった。そうした人々の繋がりが強い共同体では、比較的大きな身分差はなかったのであろう。だからこそ、大皿料理など食事においても身分差を感じさせない文化が醸成させたと考えられる。やがて交通網が整備され人々の移動が活発になるにつれて「人とのつながりを大切にする価値観」が全国に広がっていき、同時に大皿料理の文化も広がっていった。食事の時に身分の違いを感じさせず、人とのつながりを大切にするという中国の価値観は、人間関係を通して深く何かを探究する風土につながり、歴史上優れた思想家や芸術家、学問を生み出したのかもしれない。

中国では現在、少子高齢化が急速に進んでいる。中国以上に少子高齢化が進んでいる日本を見ると、先に述べた「孤食」に代表されるように食事を通した人とのつながりがますます薄れてきている。この日本の現状は、将来的に中国でも食事を通したつながりの希薄化が進む可能性を示唆している。また近年では、一度に多く注文されることが多い大皿料理が食品ロスの原因になっているとして、大量注文を制限するようになってきた。食品ロスを削減することは大変素晴らしいことであるが、これも大皿料理を通した人とのつながりに与える影響は大きいだろう。

誰かと食事を共にするということは、いつの時代においても「人とのつながり」を持つきっかけになると思う。言語や文化の違う人とならば尚更、普遍的な「食事」という行為を通して言葉の壁を超えて交流できる。誰かと同じ味を共有できる中華料理の大皿文化は、そのような交流を一層深めるだろう。もちろん、このコロナ下においては誰かと国籍を超えて食事を共にすることは難しい。だが近い将来、この困難を乗り越えた先に日中の若者が同じテーブルを囲み、共に中華料理を楽しみながら、互いの「つながり」を楽しめる日を心から期待している。

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