私から後輩へ繋ぐバトン

2021-10-28 15:40:53

外﨑万莉佳

「中国の人って、私たち日本人のこと嫌いなんでしょ?」

13歳だった私はそう思っていた。しかし、その考えが180度変わる出来事があった。

中学年生の夏、私と中国との出会いである。学校で担任の先生から一枚のプリントが配られた。それは、地元室蘭市の友好姉妹都市である「中国への中学生海外派遣交流団参加募集」のお知らせだった。「外国に行ってみたい」と、日頃から漠然と考えていた私は「応募したい」と好奇心が高まる一方、「でも中国か。中国人は日本のことよく思っていないし、怖いな」と悩んでいた。学校から帰宅し、母に応募のことを相談すると、とても驚き、「えっ、中国?」と困った様子。しかし、翌日になると母から「良いことも悪いことも経験は貴重な財産になるし、自分の力になるから挑戦してみるのもいいね」と、逆に背中を押してくれたのだ。

選考の結果、私は、中国山東省日照市に中学生海外派遣交流団の一員として参加できることになった。私と母の中国への印象は、出発前にすでに変わることとなった。訪中前の出発式にわざわざ日照市から于建成市長が来てくださり、次のような温かいメッセージを下さった。「皆さんは、お子さんを中国に来させることは、とても心配かもしれません。しかし、私は今回の子供たちの交流を通して、日中の友好を深めたいと思っています。あなた達のお子さんを我が子のように大切にさせていただくので安心して送り出して下さい」と。その時私は、市長の言葉にとても安心し、また嬉しい気持ちになったことを今でも覚えている。

そのお言葉の通り、中国に行くとどこに行っても誰もが「熱烈歓迎」して下さり、限られた時間の中で本当に温かい心で接して下さった。お別れするときは、長年の親友と離れるかのように次から次へと涙が流れ出てきて、しばらくはその涙を止めることができなかった。「一期一会」の出会いの大切さを身をもって知ったのだ。

「中国の人って、私たち日本人のこと嫌いなんでしょ?」という私の考えは、中国の人々に対する誤った考えだった。テレビや新聞などの報道から中国という国に対して自分勝手な印象を作り上げていたのだ。人は、他人の評価や噂から、初めて会う人に先入観をもって接してしまうことが多々あると思う。しかし、実際には自分で会ってその人に接してみなければその人のことを本当にはわからない。この経験から、先入観を捨て、自分の目で物事を見極める大切さを学んだのである。

日照市から戻った時、私の心には「これで終わりにしたくない」という強い思いが渦巻いた。自分だけではなく、後輩たちにも国際交流の素晴らしさ、大切さを伝えたい。中学生だった私は、まず中国語を学ぶところから始めた。高校、大学では、外国語の選択科目で中国語を学ぶ機会に恵まれた。卒業後、私は中学校教員となり、中国語教員の免許も取得した。

私の名前の「万莉佳」の「万」は、両親が万里の長城のような長い道のりを諦めないで歩んでいって欲しいという願いを込めてつけられたものだ。もしかすると私と中国との友好の歴史は、誕生した時から始まっていたのかもしれない。そして、両親の願いのとおり、私は日中友好の長い道のりへのスタートラインに立ち、今その歩みを続けている。中国との出会いが私の人生を決定付けてくれた。

私の力は、小さな力かもしれない。それでも私は、隣国中国・日照市との交流から開いた民間レベルの日中友好を後輩に語り継ぎたい。今は、新型コロナの流行で国際交流も難しい状況にあるが、また往来できる日が訪れた時には、今度は私が生徒を中国に引率し、一人、また一人と日中友好の懸け橋となる民間人を増やしてバトンを繋いでいきたい。それが13歳の時に日照市の市長を始め、ホストファミリー、一佳中学校の皆さんと今も私の心が繋がっている証であり、恩返しの気持ちだ。2022年は日中国交正常化50周年を迎える。私の恩返しの長い道のりはまだまだ続く。

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