私と漢詩

2022-02-23 15:02:48

髙橋統威

私は現在、大学で中国語を学んでいる。中国語検定やHSKに積極的に取り組み、力を着々と付けていると感じている。いったいこの活力はどこから来ているのだろうと思い返してみると、忘れかけていた一つのある「夢」を思い出した。それは中学生の時だった。

日本では、中等教育から国語や古典といった科目の中で古文漢文の授業があるなど、中国文化や思想また当時の日本がそれらに色濃く影響を受けていたことに触れる機会がある。その中でも、私は漢詩の授業が好きだった。漢字が整然と並んだ様子は、まるで長安城の美しい碁盤目を想起させ、日本語で読み下したときの怪しげな響きが二胡の奏でる音楽を連想させ、私を中国という茫漠へと誘うからだ。

この漢詩を読むときに感じる陶酔は私を夢中にさせ、李白、杜甫といった代表的な詩人はもちろんのこと、詩集や文豪の作品など様々に読み漁った。学生生活で悩んだり辛いことがあったりしても、広大な情景と美しい物語の大海原にひとたび飛び込めば、それらがいかに取るに足らないことであるかを私に実感させ、前を向く勇気を与えてくれる。

私にとって漢詩とは、正に心の拠り所だった。ただ、押韻、平仄といった音楽的な技巧や中国の山々の固有名詞など、日本で生まれ育った身では手の届かない奥深い漢詩の世界は、私に漢詩を味わい切れていないという印象を抱かせると同時に、漢詩の情緒息づく雄大な中国への憧憬を抱くようになっていった。

しかし当時中学生だった私は、高校受験を控えていたこともあり、中国へ行こうとは露程も思わず、憧れは心の中に押し止めるほかなかった。そして高校生になり部活動や大学受験の勉強に忙殺される中で、いつしか中国への想いは次第に薄れていってしまった。

 そんなある日、心の拠り所を手放してしまったからだろう。心労がたたり、浪人生時代に大病を患ってしまった。大きな手術や入院、リハビリ、薬の副作用の適応など大変な時期を過ごした。命に別状はなかったものの、発声がしにくくなるという後遺症が喉に残り、コミュニケーションにおける困難が一生付き纏うことになってしまった。自分の境遇を受け入れることができず、漫然と過ごす日々が続いていた。

自宅での療養生活が半年ほど経った時、時間を持て余し見るともなくテレビを見ているときに、映画が放送されていたのだが、あるシーンに目を奪われた。私の大好きな漢詩が引用されていたのである。

生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊

「生と死が去ってまた来る、棚から吊った操り人形が、その糸を切るやいなや、ガラガラと崩れ落ちるように」

これは、日本の室町時代の能楽の大成者である世阿弥の書『花鏡』の一節である。能の心構えを示したものだが、人間の死生観を表した言葉としても捉えられている。

人は「死」の存在を知覚した時、ともすれば厭世的になり人生は瓦解してしまうが、それを乗り越えることこそが、生きることの心構えなのだと世阿弥は示しているように思う。人生に悲観していた私は、この言葉によって自分の境遇を受け入れ、前を向くことの大切さを知ることができた。また漢詩に救われた。病気と戦うのでも恨むのではなく、受け入れ共に歩んでいく覚悟ができたとき、不思議と涙が溢れてきた。

私は今、「中国に行きたい」という思いを新たにしている。私は病により声を満足に出せなくなってしまい、大きな声で詩を吟じることもできなくなってしまった。しかし、鑑賞することや書くことによって漢文の世界と繋がっていることはできる。中国へ行った際には、是非とも漢字で詩を書き、先人たちの轍に続いていきたい。

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