また逢う日まで

2021-11-04 16:39:52

森楽歩

20201月のある朝、テレビから流れるニュースに、登校準備をしていた私の手が止まった。中国の武漢市で新型肺炎が感染拡大しているというものだった。武漢市に住む友人の顔が次々と頭に浮かんできた。すぐにSNSで友人に状況を聞いたところ「大丈夫だよ」と返事が来た。私を安心させるための言葉だったかもしれないが、ニュースを見て以来ずっと心に立っていたさざ波が少し収まった。

日が経つにつれ、友人から武漢市の状況が緊迫していると知らせがあり、私も何か支援をしたいと思った。だが、物資を届けようにもロックダウンされた武漢市への郵送は難しかった。そんな状況下で、私に何ができるだろうか。考えた結果、高校の友人にも声をかけて「武漢!加油!!」の応援メッセージをSNSで武漢市の友人たちに届けた。すると、彼女たちは「元気が出た、ありがとう」と喜んでくれた。不安で沈んでいた彼女たちの心が少しは明るくなったようで嬉しくなったが、それと同時にそんなことしかできない自分の無力さも感じた。

私は、この春から大学で中国語を専攻している。中国語を身に付け、日本と中国をつなぐ仕事がしたいという夢のためだ。きっかけは5年前、私が中学2年生の頃に、武漢市から中国人留学生のホームステイを受け入れたことだ。日本語を学ぶ5人の学生が、私たちの中学校で1か月間を一緒に過ごした。同年代の彼女たちが、母国語ではない日本語を使い意思疎通に奮闘している姿に私は憧れた。ホームステイでの出会いから私は2度、武漢市を訪れた。その当時話すことができた中国語は簡単な定型文程度だったが、友人たちやそのご家族は私を歓迎し、もてなしてくれた。その時、私は初めて、将来中国語を身に付け、彼女たちと中国語で話したいと自覚したのだと思う。

今、念願の中国語を学べる環境に身を置くことができていることが何より嬉しく、刺激的で充実した日々を送っている。大学の授業では中国に関する国際ニュースをディスカッションする時間がある。ディスカッションを通して、クラスメイトや先生の考え、価値観を知ることができる。自分にはない新たな視点は勉強になり、自分の未熟さを痛感することもある。

だが、もし中学2年生での交流がなければ、今のように中国語を学んでいただろうか。中国にネガティブなイメージを抱く日本人がいることは否めない。観光地で騒ぐ団体観光客や違法なコピー商品のような日本メディアの偏向報道だけが、中国のイメージの形成要素となっているからだろう。もし、それらの情報だけを鵜呑みにしていたら、私も同じように思っていたかもしれない。だが、私が出会った中国人は皆、知的で勤勉で尊敬できる憧れの存在だった。自分の経験から、異文化交流においては先入観を持たないことが最重要だと考える。様々な情報を取捨選択し、自分から積極的に集めていくことが大切だ。それを大学での4年間でしっかり学びたい。今の私にできることは、たくさん勉強してインプットを増やすことだ。近い将来、中国に行けるようになった暁には、思いっ切りアウトプットをしたい。それまでに多様な価値観に触れ、多角的な視点を身に付けておくという目標ができた。

昨今のパンデミックの影響で、武漢の友人と直接会うことはできないが、お互いの課題をアドバイスし合ったり、リモートで近況を話したりといった交流は続いている。私の所属するガールスカウトで、中高生とコロナ下での生活について考えるオンラインイベントを実施した際に、武漢市の友人にロックダウン中の生活についてインタビューした動画を作ったりもした。だが、私に中国語を学ぶきっかけをくれた彼女たちと直接会えないことに虚無感を感じることもある。

 

黄鶴楼送孟浩然之広陵   李白

   故人西辞黄鶴楼

   煙花三月下揚州

   孤帆遠影碧空尽

   惟見長江天際流

 

中国と出会って、私の人生は変わった。自分の恵まれた環境に感謝し、これからも学び続ける。

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