たった一人の民間外交

2022-10-25 14:37:22

木村 吉貴


仕事、日中友好協会、柔道、留学経験、私は様々な分野にて中国とかかわりを持っている。そして中国には今でも私を温かく迎え入れてくれるかけがえのない友人たちが沢山いる。中国との付き合いは恐らくずっと人生を共にしていく課題なのだろうと考えている。

2019年が終わり、年明けの20201月。宮城県の招聘事業で武漢と広州の旅行会社の人たちが宮城県を訪れた。私は宮城県庁から誘いを受け、会食交流会に参加した。会食の場所は宮城県の特色を味わえる旧伊達伯爵邸・鐘景閣で行われた。一緒にお酒を交えながら、楽しいひと時を過ごすことが出来た。当時は今年も中国関連で一年が始まると考えていたが、その数か月後、中国全土、また世界中を悲劇が襲うとはこの時は想像もしていなかった。

それから数か月が過ぎ、中国国内では「原因不明の肺炎」が大流行していた。当時、何も危機感がなかった私は「対岸の火事」程度でそれを見ていた。しかしそれは瞬く間に中国全土を震撼させ、SNSの書き込みでも助けを求める投稿を目にした。私は居ても立っても居られなくなり、すぐに行動をした。県内各地を歩き回りマスク、消毒液、体温計などの物資を確保した。

最初に柔道仲間を助けたいと思い、かつての職場である日中友好青島柔道館と技術講習や大会で度々訪れていた日中友好南京柔道館と金華市柔道協会にマスクと体温計を送った。しかし個人で確保できる量はたかが知れている。そこで私は母校、東海大学柔道部の大先輩でもある井上康生先生が理事を務める「JUDOs」に相談を持ち掛けた。そしてすぐに了承して頂き、「JUDOs」からも追加で沢山の支援物資を中国に送って頂くことになった。次は留学先でもあった延辺大学と地元延吉の友人たちへ支援物資を送った。こちらは延辺大学日本校友会の協力を取り次ぐことが出来、中国の母校へ物資を送り届けることが出来た。それから、仕事で付き合いのある大連市旅行発展交流促進委員会と1月に仙台で食事を共にした広州と武漢の旅行会社へ支援物資を届けた。物資を送る前に私は所属先の代表取締役に相談を持ち掛けた。代表取締役は快く承諾して下さり、会社名義で大連と武漢、広州に支援物資を届けることが出来た。後日談ではあるが、大連の旅行会社の方のSNSの書き込みで「日本のある青年の行動がとても感動した」との書き込みを見たときは涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。また、大連に送った物資は市内の老人ホームなどに届けられたようだ。

それから月日が流れ、中国で感染状況が若干落ち着きを取り戻したころ、今度は日本で感染が拡大し、物資不足に悩んでいた。その際、大連旅行発展交流促進委員会から会社宛に大量の支援物資が届いた。届いた支援物資は会社を通じて仙台市内の小学校や石巻市、東松島市、女川町などの被災地寄付をした。そして日中友好青島柔道館からも支援物資が届き、それは私の母校でもある東海大学山形高校柔道部へ寄付をした。たった数か月の間に起きた出来事だったが、国や言語を超え、困っているときにお互いに手を指し伸ばすことが出来、お互いに友人を思う気持ちが今回の一連の出来事を成功させてくれたのだと思う。

本年は日中国交正常化50周年を迎える節目の年にもあたる。2月には縁があって中国大使館とのオンライン交流に参加し、発言する時間を頂いて私が心に秘めていたことを楊宇臨時大使に伝えた。以下発言した内容である。「中国語を勉強したい、中国へ留学したいという新しい目標を掲げた私は東日本大震災と病気を克服して2013年に中国に渡りました。当時の私にはいろいろな選択がありましたが、あの時の選択は私の誇りです。一つは皆の為、皆は一つの為。日中友好を心に掲げる私達若者世代が50周年という節目の年に永世に渡った友好関係の構築、相互発展、相互理解、相互学習を続けるとこの場を借りて誓いたい」


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