議論をしたがる中国人

2022-10-25 16:34:50

川村 潤子


私はこれまでに、中国に約30回訪れたことがある。

一番初めに訪れたのは20112月に1カ月、観光で滞在をした。当時私が19歳の時である。コロナウイルス感染症のためここ数年は中国に行けていないが、これまで約10年間、年に数回訪れる中国で何度か衝撃を受けたことがある。特に衝撃的であった2つの事例を挙げながら、私が今後中国と日本を行き来するものとして日本で伝えていきたいことを示したい。

一つ目に、私は侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館を訪れた時のことである。この記念館を訪れるまではメディアなどで、中国と食い違う点がいくつかあることが報道されていたりとしている場であるという印象が強かった。様々な感想を抱いたが、一言でいうのであれば、中国の記念館のつくりに私は感動した。なぜならば、記念館の最後に行くにつれ、中国が今後日本とどのような関係を築いていきたいかということが示されているようなメッセージが込められていたためだ。様々な解釈がされる記念館であることは重々承知しているが、少なくとも、日本の戦争記念館に関係するものでは、相手国との今後の関係までも考慮されているような展示は見受けられないのではないか。

二つ目に、2012年の冬、駅から目的地に向かうのに、友人と何の気なしに利用したタクシーのなかでのことである。日本語で会話をしていた私たちに、タクシーの運転手は初めて出会った日本人だと笑顔で話しかけた後に、日本人に出会ったら一度聞きたかったことがあるとし、「島問題に対してどのように考えているか?」と問いかけてきた。当時、中国では抗議デモが行われていたとしており、日中関係は割と冷え切っていた頃であったがために、この質問への回答はかなり驚いた。そして、「大変なことになっているね」などと無難な回答をする私たちにタクシーの運転手は次のような持論を述べ始めた。「政府同士でもめているのは構わないが、民間の俺たちは仲良くしていたいよな。日本人はアメリカを兄弟と思っているようだけど、中国との関係も古くからあるわけだし、俺たちも兄弟だよな」と。それまで無難な言葉で誤魔化していたことが恥ずかしくなり、「日本人も中国人と仲良くしたいと思っている人たちばかりだよ」と答えると、「やっぱりメディアの報道は信じられないな」と笑顔で返してきた。

この出来事以外においても、衝撃を受けたことは多々あるのだが、日本でのメディアの報道を見る限りでは捉えられていない中国人の姿である。中国でもそのような現象があるようだ。ただし、彼らは自身の言葉で議論をする場がたくさんある。例えば、私も何度も参加をさせてもらったことがある、円卓を囲んでの食事の場がある。円卓での食事は、みんなが入れる話をみんなで盛り上がろうとし、その場には子どもも大人も関係なく参加をしている。そのため、子どもも様々な大人からいろんな意見を聞き、メディア以外の意見を聞く場が幼いころから設けられているようである。よく、中国人は意見をはっきり言うということをいわれるが、耳を傾け、幼いころから議論をする場がたくさんあったのであろう。よく「中国人はわがままだ」という意見を聞くが、私は「中国人は相手のわがままもきいてくれる」人たちであると思っている。意見をはっきりいわない日本人は政治の話の前に、もっと中国人と交流していく必要があるように思える。

日本では、政治の話などはあまり外ではしないような(できない)雰囲気がある。上述したように、相手のことを理解したいがために、議論をしたいと思っている中国人を前にしたとき、どのように答えていくことができるか。このことを常に自身に問いかけながら、また今後研究者として、筆を執る者の一人としても、メディアの報道では捉えられていない中国を日本において発信していきたい。


 

関連文章