中国を好きになるまで

2022-10-25 16:50:30

野村 心海


私は小学生の頃、運動会やバザーなどの大きな行事よりも、楽しみにしていた行事がありました。それは「日中友好交流会」です。私は中国の青島市と友好都市である下関市の小学校に通っていました。この交流会は毎年10月に、青島市から小学校の校長先生と女の子2人と男の子1人の3人の生徒、通訳の方をお迎えして、お互いに出し物をし合ったり、一緒に遊んだりして交流するという伝統行事であり、恒例行事でもありました。1年生の時、初めて中国の方と交流し感動したことを覚えています。この頃知っていた中国語は「你好」や「谢谢」の2つだけでした。この「日中友好交流会」をきっかけに私は中国に興味を持ち、中国についてたくさん調べるようになりました。

この交流会は、6年生3人のみが中国の生徒のホームステイを受け入れることができます。私は1年生からずっとこのことに憧れていて、6年生になったら絶対やりたいと思っていたので、6年生の時はもちろん受け入れました。

私の家には、ジャシェンちゃんが来ることになりました。ジャシェンちゃんと一番初めに交わした言葉は「初次面」(はじめまして)でした。学校ではお茶作りをしたり、一緒に給食を食べたり、一緒に昼休みを過ごしたりしました。しかし、この時はジャシェンちゃんも私も緊張気味でした。そして2人で家まで帰り、ここからが大変でした。それは言葉が通じず、話すことも一苦労だったからです。私や家族の中で中国語を話せる人は居らず、スマホの翻訳アプリに頼ったり、つたない英語を使ったり、身振り手振りでコミュニケーションをとっていました。ジャシェンちゃんも私達に自分の言いたいことを伝えるのは難しかったと思います。

しかしこうやってコミュニケーションをとっていくうちに、ジャシェンちゃんとの仲が深まった気がして、お互いに伝えたいことをうまく伝えられ通じ合えたと感じました。その日の夜、私達は幼馴染だといっても過言ではないぐらいの仲になっていました。話すことも一苦労だと思っていたあの時が嘘のようでした。

次の日の朝は、ジャシェンちゃんとお別れの日でした。一緒に登校し学校に着くと、続々と生徒達が集まってきました。お迎えした小学校の校長先生と中国の3人の生徒、通訳の方を全校生徒でお見送りするためです。最後に交わした言葉は「佳璇、再」(ジャシェンさようなら)でした。ジャシェンちゃん達が車に乗り込み、車の窓を開けて私達の方に向かって手を振ってくれたあの瞬間、様々な思いが込み上がってきました。1年生の時から憧れていたこのことを体験できてすごくいい経験になったこと、ジャシェンちゃんと関わったことで、育った国や使っている言語は違っても気持ちは通じ合っているとわかったことなど様々です。

私は中学校でも高校でも中国語の授業を選択して勉強しています。日本語とは全く違い、わからないことばかりですが、いつかジャシェンちゃんに会えたら、次こそは中国語でコミュニケーションをとりたいという気持ちで勉強しています。

小学生の時は「日中友好交流会」で中国の方と交流し、中学生、高校生になった今では中国語を習い今までずっと中国に関われていることがすごく嬉しいです。「どこの国が好きですか」。と聞かれると迷わず「中国!」と答えられるぐらい中国のことが大好きです。

今年は日中国交正常化50周年を迎えます。これからも中国と日本の友好関係が続きますようにと願っています。そしてジャシェンちゃんとわたしの心はこれからもずっと通じ合っているでしょう。

 

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