変わる中国、変わらない中国

2022-10-25 16:53:19

髙宮 ゆり子


今から7年前の2015年春、私は初めて中国を訪れた。観光ではない。結婚式のためだ。無愛想で偏屈で、結婚の気配なんてないと思っていた叔父が、いつの間にか若くて可愛らしい中国人留学生と出会い、彼女の故郷で式を挙げることになったのである。家族で海外旅行などしたことがなかった私たちは、胸を踊らせると同時に、未知なる国への不安を抱いていた。ちょうど、その年の流行語大賞には「爆買い」が選ばれている。中国から訪れた観光客の大きな声や奔放な振る舞いは、秩序を重んじる日本の社会に馴染まず、冷たい視線を送る日本人も少なくなかった。私たちも、多かれ少なかれそのような偏見を抱いていたといえよう。それでも、大事な家族の結婚式ということで、覚悟を決めて中国に旅立ったのである。

さて、上海の空港に降り立ち、最初に私たちを驚かせたのはタクシーだった。これが怖いのなんのって、床が今にも抜けそうなほどオンボロなのに、高速道路を猛スピードで走る。右に左に追い抜き競争、鳴りっぱなしのクラクション、ぶつかりそうな車間距離、アクション映画でも息を呑むようなシーンの連続に、当時小学生の私はぶるぶる震えて、本気で死を覚悟した。

なんとか生き長らえて翌日向かった先は、四川省瀘州市の叙永県というところである。上海や成都といった都会とは違って、数階建ての集合住宅が立ち並び、少し外れると山があるような地方の街だ。それでも、各所で高層マンションに建て替わる動きが見られ、その開発工事のせいか、はたまた中国特有の大気汚染によるものか、街全体が咳き込みそうなくらい埃っぽかった。

そうしてついに、結婚式の日を迎えた。式場の前には、まるで芸能人かと思うような新郎新婦の等身大パネルやポスターが飾られ、大勢の親戚や知人のほかに、偶然通りかかった人までもが覗きに来る盛況ぶりである。テーブルには中華料理の大皿が次々と運ばれてきて、手をつける間もなく23段に積み重ねられた。「こんな量はとても食べきれない」とお嫁さんに告げると、「食べきれないくらい料理を出して客が残すのが、もてなしの意味なのだ」と教えてくれた。式が終わった後、大量に余った料理が躊躇なくポリ袋に棄てられているのを見て、複雑な気持ちになったものだ。

生活で一番困ったのはトイレである。仕切りのないニーハオトイレがほとんどで、紙も流せず、日本の温かい便座とウォシュレットに慣れた身にはかなりのストレスだった。他にも、アヒルの水掻きや牛の胃袋といった珍味を食べるなど、日本人の固定観念をひっくり返すような体験を一通り済ませて、私たちは帰国した。

これが、私と中国との衝撃的な出会いである。

あれから7年。中国経済のめざましい成長や急速な社会の変化には、驚かされるばかりである。叙永県では今ごろ高層マンションが建ち、さらなる開発が進んでいるだろう。トイレは海外からの観光客に対応するために洋式化が進んでいるというし、大気汚染や交通事情も、規制が厳しくなって大幅に改善されているそうだ。2021年には食べ残しを禁止する「反食品浪費法」が可決されたから、あの結婚式の光景はもう見られないかもしれない。2015年に私が見た中国は、すっかり変わっているに違いない。

しかし、一つだけ変わらないものがあると信じている。それは、中国の人々だ。現地で私たちを出迎えてくれた中国人は、想像していたよりもずっと親切で温かかった。親戚や店の人は、日本人の私たちに冷たい目を向けることなく、四川語とボディランゲージで積極的に私たちにコミュニケーションを図って歓迎してくれた。どんなに社会が変わっても、明るくて人情深い中国人の本質は変わらないだろう。

思いを巡らせていたら、もう一度街や人に会いたくなった。百聞は一見に如かず。情勢が落ちついたら再び中国を訪れ、この目で確かめたいものである。

 

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