日中友好の懸け橋

2022-10-26 10:32:56
北村 想空

私は中学生の頃から中国とは深い縁がある。

私の母校である横浜市立港中学校は中華街の中に位置し、多くの中国人生徒が在籍している。当時、私たちの学年は120名中27名が中国人生徒だった。彼らの日本語レベルには大きく差があり、流暢に日本語を話せる生徒もいれば、全く話せない生徒もいた。

学生生活を共に過ごしていく中で、日本人生徒と中国人生徒との間に壁ができていった。最初は言語による壁だったが、次第にそれ以外の要素が見えるようになった。例えば、グループを組む時、先生は日本人と中国人の混合グループを組むように声掛けをしていたが、生徒側はそれを拒否し、日本人と中国人で別れて組むのが普通になっていった。クラスで何かを決めるときも日本人だけで話し合いを進め、中国人の意見を聞く耳すら持たなかった。「中国人とはコミュニケーションがとりにくいから、日本人だけでやった方が効率的である」と自分たちを正当化しているように感じた。それが当たり前になっていったことに私は違和感を抱いていた。

「日本にいるのになんで日本語しゃべれないの?」など心にもない言葉が飛び交い始め、日本語を理解できる生徒は辛い思いをしたに違いない。しまいには、中国人生徒たちのことを指し、「チャイニーズ」という言葉でグループ分けをし、交流すら嫌う生徒も現れた。

私には仲の良い中国人の友達がいたため、とても悔しかった。彼らの中身も知ろうともせず、日本人ではないからという理由だけで嫌う風潮を私は理解できなかった。だが、当時の私はその状況を大きく変えることはできなかった。

中学生の頃の経験がきっかけとなり、私は大学で中国語を専攻し、昭和女子大学と上海交通大学とのダブルディグリープログラムを選択した。20209月から2年間、上海に留学しに行く予定だったが、新型コロナウイルスの影響を受け、オンライン留学に切り替わり、大変悔しい思いをした。しかし、留学に行けなかったからと諦めるのではなく、今日本でできることをしようと考え、中国と関わることができるプロジェクトやイベントに積極的に参加した。例えば、国際交流基金日中交流センター主催の日中大学生交流事業や内閣府主催の日本・中国青年親善交流事業だ。

日中大学生交流事業では、私たち日本人学生が考案した企画を進行するにあたり、日本人学生と中国人学生間でコミュニケーション不足が大きな課題となった。ここで諦めたら、中学生の頃と変わらないと思い、私はオンライン交流会やWeChat上で自分たちの好きを共有する“weekly challenge”を行った。また、日中交流は自分たちの間で終わらせてはいけないと思い、SNSで日中交流の様子や文化の違い、自分たちの想いや気づき等を発信し続けた。

日本・中国青年親善交流事業では、「地方創生と日中青年の役割」をテーマに、5つのグループに分かれ、中国参加青年とのオンライン交流会「日中代表ユースフォーラム」に向けて各グループで事前準備を行った。私はボランティア班に所属し、事前準備では日本と中国の地方創生に関わるボランティア活動について調べ学習を進めた。「日中代表ユースフォーラム」当日、中国の大学院生だけでなく、ボランティア団体に所属をされている方や政府機関に所属されている方から実体験を基にしたお話を伺い、調べ学習だけでは知ることのできなかった中国の「今」を知ることができた。中国では、科学技術と教育、科学技術と介護が連携して手厚い支援を行っており、日本の地方は特に、科学技術を最大限に活用している中国から学ぶことが多いと感じた。

私は日中交流の活動を通して、両国の違いを否定的に捉えるのではなく、良さとして認め合う姿勢が必要であると強く感じた。そのため、私は日中友好の懸け橋として、これまで得た知識や異文化経験をSNSで発信し伝播させることで、更なる日中の相互理解を促進し、特に、将来を担う日中の若者の交流の拡大に貢献していきたい。

 

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