絶対諦めなかった中日友好

2022-10-26 11:25:44

吉永 まりあ


私が中国に出会ったのは、高校2年生の時でした。

それまでは、テレビのニュースで報道されている中国しか知らず、あまり良いイメージはありませんでした。そんな中、2年生の授業の必須科目として、中国語講座を受講することになります。初めて見る中国語、初めて触れ合う中国人(講師。先生の人柄の良さを感じ、「中国とは、本当はテレビで見るものと違うのではないか」と少しずつテレビの報道に疑いを感じました。 私はもっと中国のことが知りたいと思い、 授業以外にも自ら進んで中国語を勉強し、検定を受けたり、Weiboに登録して、現地の中国の方と交流を始めたりしました。

そんな私が楽しみにしていたのは2年生12月初めにある修学旅行。なんと行き先は北京。現地の高校生との交流会もあり、 やっと自分の目で中国に触れられる、自分の中国語で中国の方と話したいと希望に満ち溢れていました。そのため、今までより一層勉強に励みました。 

しかし、修学旅行出発2ヶ月前の10月、9月にあった島の問題を踏まえ、何度にも渡る会議の結果、北京行きの修学旅行が無くなったと担任の先生から直々に報告を受けます。 

私はあの時の絶望感を今まで1度も忘れたことはありません。 これ以上、夢や希望を抱いている学生が、私のように同じ絶望感を抱いてほしくない。と強く願いました。

これからも、もっと中国に携わりたいと大学では中国語を専攻し、短い間ではありますが、留学にも行きました。

初めて行く中国は、テレビの報道とはかけ離れており、中国の方々は道に迷っている私を助けてくれたり、よく通う食堂のおじさんは毎回挨拶をしてくれたり、みなさん大変温かい方ばかりでした。 

また私は、それまで自分の意見を伝えることが苦手で内向的な性格でした。中国では、みんなしっかりと自分の意見を持ち、相手に伝えています。失敗を恐れず、堂々と生きる方々をみて、私もこうなりたいと思いました。少しずつ自分から声かけれるようなコミュニケーション能力を身につけ、 現地の方と積極的に会話をするようにしていました。私を大きく変えてくれた中国は、段々と自分にとってなくてはならない大きな存在に変わっていきます。

大学卒業後、一度は一般企業に就職したものの、時々テレビで報道される中国についてのニュースを見るたびに、高校生の頃抱いた自分の夢を思い出すことが度々ありました。このままではいけないと考え始め、夢を再び追いかけ始めた私は、現在、中国総領事館に勤務しております。自分が中国にいる時、何かあったら現地の総領事館を頼りしていたことを思い出し、日本にいる中国の方に少しでも安心して日本での生活を送るための手助けができたらなと、日々業務を遂行しています。また同時に、自分を変えてくれた中国に少しでも恩返しがしたいです。

絶対諦めたくなかった中日関係の友好。

残念ながら現在は新型コロナウィルスのため、大好きな中国に行くことはできていませんが、 中日の架け橋として、今後も努めたいと思います。

 

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