中国の優しさに救われた

2022-10-26 11:36:08
岡部 達美

私は、東京に住んでいる。でも、たまに都会暮らしに疲れることがある。そんな時、私は決まって、京都府宇治市にある萬福寺を訪れる。萬福寺は、日本では珍しい黄檗宗のお寺である。江戸時代初期、中国福建省から来日した隠元禅師によって開かれた。

私は、高校3年生の時、お寺のお坊さんから、次のような話を伺ったことがある。

「隠元禅師がこの寺を開いたのは、70歳の時です。江戸時代の70歳は、高齢そのものです。しかも、禅師を呼んだのは、長崎の逸然という僧侶ですが、最初は、也嬾(やらん)という禅師の弟子を呼んだのです。ところが、也嬾の乗った船が難破し、亡くなってしまいました。禅師は、志半ばで亡くなった弟子を考え、その遺志を果たすため、危険も顧みず渡来したのです。」

私は、隠元というひとりの中国人の僧侶の大きな心に心打たれた。「隠元禅師は、僧侶と言うより仏様だわ。」

私が萬福寺を参詣する一番の目当ては、『布袋尊』にお目にかかることである。布袋様は、本堂の前にある天王殿の正面に祀られている。実は、この布袋様は、弥勒菩薩様の化身である。でも、この菩薩様は、世に知られた弥勒菩薩とは、お姿がかなり違う。

一般に、弥勒様は、右足を曲げて左膝の上に乗せ、右手の指を頬に当て、ロダンの『考える人』が浮かんでくるような、物思いにふけるお姿をしている。「どうしたら、困っている人々を救えるだろうか。」と、思案なさるお姿に見える。

ところが、萬福寺の布袋様は、ほんのり染まる頰、タレ目が印象的である。また、ぽってり丸い太鼓腹、大きな袋を片手に片膝を立てて座り、体は黄金色に染まっている。そして、大きな口で笑いながら出迎えてくれる。

昨年の冬、私は、また、萬福寺を訪れていた。その時、思い切って、お坊さんに尋ねた。

「どうして、この菩薩様は、仏様というより人間に近いお姿なのですか。」

お坊さんは、おっしゃった。

「実は、布袋尊は、唐代末から五代時代にかけて、中国・明州、現・浙江省に実在した、契此(けいし)という僧侶のお姿なのです。

このお坊様は、大きな袋、頭陀袋(ずだぶくろ)を抱えて国中を旅していました。そして、旅先で出会った貧しい人々に、持っている袋の中から必要な物をお与えになったのです。時が巡ると、今度は、お坊様に救われた人々からお礼をいただくようになりました。お坊様は、いただいた品物をまた袋の中に入れ、再び行脚の旅に出ました。こうして、袋は、どんどん大きくなっていきました。」

私は、布袋様の袋の中身が、感謝と慈悲の心であふれていることを、この時、初めて知った。

顧みると、隠元禅師は、中国から日本に、様々な物をもたらしたと言われている。隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹(タケノコ)、煎茶に始まって、印刷、建築、美術まで、多岐にわたる。しかし、それらは、どれひとつ取ってみても、その後の我が国の人々の生活に恵みをもたらさなかったものは無い。否、それらのおかげで、また、新たな文化が築かれていったと思う。農業、料理、経済、建設等、発展の基礎をいただいた産業は多い。

私は、この時、もうひとつ、気づいたことがある。それは、隠元禅師も、布袋尊の化身だったのではないかということである。禅師は、さまざまな思い、知識、そして、品物を、袋に入れ、日本においでになったのではないだろうか。見えない袋だったかも知れない。しかし、その袋に、日本の人々を幸せにしないものは何一つなかったことだけは、間違いないと思う。

私は、萬福寺の布袋尊は、隠元禅師の化身だと思っている。禅師は、どんな時でも、どんな人も笑顔で迎えてくださる。こぼれるような笑顔で、悲しみや疲れにおののいている人々に、優しく接してくださる。

私は、そんな布袋様が大好きなのだ。隠元禅師の大きな心に触れられるようで、それだけで、幸せになれる。私は、強くなれるのである。

 

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